マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
21失点の多治見応援席は笑顔だった。
センバツ21世紀枠、なんかいいな。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2017/03/23 07:30
大量点を奪われた多治見高校について、21世紀枠の意義を問う声もあった。しかし、そこにこそ意義がある、ともいえるのだ。
記者席では、21世紀枠の意義に疑問が出ていた。
「21世紀枠」が2校続いて出場したこの日。
最初の多治見高が、試合序盤で報徳学園高に10点の大量リードを許したあたりで、記者席では、早くも「21世紀枠」の意義に“?”を唱える声が出始めていた。
そもそもが、どういう理由で始まったのかあまり知られていないこの制度だ。実は、われわれ記者の中でも、明確に「こうです!」と模範解答をくれる人に会ったことがない。
それだけに、これまでも陰ではいろいろ議論を呼んできた。
いいな、というのは、「21世紀枠っていうのもいいかもな……」。そんな思いからだ。
私自身、この制度がよく理解できてはいなかった。
いつも家の前を通って学校へ通うあの子たち。そして暗くなって、いつも家の前を、今日の“野球”を語り合いながら帰っていくあの子たち。いつも見かけるこの土地のあの子たちが、甲子園という大舞台で野球をしている。
その姿を目の前で見られるすばらしさ。
それだけでも、この制度の意義は十分にあるのではないか。
地元代表と言われても、という学校が増えるなかで。
「21世紀枠」という意味合いからは少々ズレるのかもしれないが、もともと、わかったようなわからないようなネーミングなのだから、表記など二の次でよいだろう。
学校があそこにあるのはわかっているのだが、はて、いったい野球部はどこで練習しているのやら。地元代表といわれても、その姿を一度も見たことのない“まぼろしの地元校”が増えていく中で、いつも通るいつものあの子、ひょっとしたらその子の名前も親の顔もよく知っていて、そういうあの子が甲子園の大舞台で一生懸命プレーをしている、信じられないような光景。そんな感動を与えられるのは、今の「甲子園」ではこの制度で出場してくる選手たちだけなのではないか。