フランス・フットボール通信BACK NUMBER
アジア杯をTV観戦したら公開処刑。
イスラム国がサッカーを禁じた日。
text by
ジェレミー・ベルリオーJeremie Berlioux
photograph bySebastian Castelier
posted2017/03/23 17:00
イラクでは、ショートパンツやジャージの選手たちがサッカーの試合をする風景が、再び普通の光景になってきた。
サッカーはイスラム国への抵抗の象徴だった。
ラビア攻略に先立つ数カ月前、イスラム国は住民たちに恐怖心を植えつけながら戦いの準備をしていた。事前に支配力の弱い近隣の村々に避難ができた人々は、そこでボールを蹴り続け……次第にサッカーは、イスラム国への抵抗の象徴になっていった。
「子供たちが喜んで遊べるように、私も幾つかのチームを作ったものです」とワハム氏はいう。
「それらの地域では、ラビア市ほどにはイスラム国の監視は厳しくはなかったとはいえ、様々な危険を回避するに、十分な注意がまだ必要だった」
われわれが取材した日、草サッカーチームのコーチであり、かつては自身もセミプロであったアタシ氏は、ラビア市のスタジアムで子供たちの駆ける姿を眺めながら、熱心にメモを取っていた。
「彼らをよく見るためには、自由にプレーさせるのがいい。ボールを持って、思うままにプレーする。だが、イスラム国が支配したときは、たとえどれだけ参加者が少なくとも、試合を実現するのは常に死の危険が伴った」
「サッカーをするのは狂気の沙汰だ」と脅された。
地域の住民からも、選手たちはしばしば攻撃を受けた。
「罵られたり、石を投げられたりしたよ」と、ユベントスのTシャツを肩に羽織った16歳のモハマンドはいう。
アタシ氏が補足する。
「彼らはイスラム国に脅されていたんだ。『サッカーをするのは狂気の沙汰だ』と」
イスラム国の兵士たちは2度にわたりアタシ氏が避難する村を訪れ、試合をしていた子供たちを威嚇した。
「現行犯として身柄を拘束して彼らはこう言った。『次はもうない。今度やったら殺す』と」