フランス・フットボール通信BACK NUMBER
アジア杯をTV観戦したら公開処刑。
イスラム国がサッカーを禁じた日。
text by
ジェレミー・ベルリオーJeremie Berlioux
photograph bySebastian Castelier
posted2017/03/23 17:00
イラクでは、ショートパンツやジャージの選手たちがサッカーの試合をする風景が、再び普通の光景になってきた。
「私は跪いて、ピッチに顔をつけながら涙を流した」
'14年9月に、住民たちはイスラム国から解放されたラビア市に戻ることができた。
解放を祝って試合をおこなうのは自然の成り行きだった。
ピッチを覆っていた瓦礫を撤去し、この歴史的な試合に出場する若者たちが集められた。ワハム氏も、少し空気の抜けたボールを抱えながら埃まみれのピッチに戻ってきた。
「そのとき私は跪いて、ピッチに顔をつけながら涙を流した」と、感極まった表情で彼は当時を回想する。
それはイスラム国への勝利であると同時に、課せられた不条理への勝利でもあった。というのも今日に至るまで、サッカーが禁止された理由は不明瞭で、ラビア市の住民たちにはそれが何であったのかいまだに知らされていないからだ。
「原理主義者たちと話をしない限り、どうしてサッカーが宗教上の禁忌となったのかはわからない」とアタシ氏も語っている。
イスラム国もサッカーをプロパガンダとして利用。
イスラム国の支配地域でも、その後、状況は変化した。
「(ラビア市の解放から1年半が過ぎて)イスラム国もサッカーを容認するようになった」と、現地を取材したあるジャーナリスト(安全上の理由から匿名を希望)は述べている。
ただし試合は祈りの時間を避けて、またイスラム国が課す独自の規則のもとに行われる。
「イスラム国も、サッカーを自分たちのメッセージを託すプロパガンダとして利用するようになったんだ」とそのジャーナリストは言う。
「彼らは、自分たちは規則を変えることができる、サッカーの規則ですらもそうだと、支配する住民たちに知らしめたい。だから選手たちにユニフォームを着ることを禁じた。スポーツシャツを着たものは即座に逮捕される。彼らにとってそれは『西洋の異教徒たち』の模倣に他ならないからだ」
もちろん太ももを晒すなどもっての他で、長ズボンと長袖シャツの着用は義務である。イスラム国が標榜する理想社会では、賭け事は厳禁で罪とみなされる。すべての試合は神から与えられた報奨である。
シリアのデイル・エズゾル市では、レフリーの存在自体が廃止された。
「彼ら(イスラム国)は、プレーの判定が信仰に反する行為であると宣言した。何故ならすべてを決められるのは神のみであるからだ」と、前述の匿名ジャーナリストは説明する。
それからはイスラム国のメンバーがレフリーの役目を果たし、プレーを監視して不正を働いた選手に処罰を与えているのだという。