フランス・フットボール通信BACK NUMBER
アジア杯をTV観戦したら公開処刑。
イスラム国がサッカーを禁じた日。
text by
ジェレミー・ベルリオーJeremie Berlioux
photograph bySebastian Castelier
posted2017/03/23 17:00
イラクでは、ショートパンツやジャージの選手たちがサッカーの試合をする風景が、再び普通の光景になってきた。
サポーターズクラブが襲われ、16人が惨殺された。
昨年5月、過激な原理主義者たちのグループが、バラド市(イラク)にあるレアル・マドリーのサポーターズクラブを襲撃した。その結果、16人が文字通り血の海の中で惨殺された。
またラビア市では、原理主義者たちが一掃された'14年9月まで、サッカーをすることが全面的に禁止されていた。
占領されていた4カ月の間、サッカー好きの人々はサッカーをプレーすることそのものを、圧政へ抵抗するための武器にしていた。
白い民族衣装を身に纏い、安手のプラスチックの椅子に座ったワハム・アブー・アーメド氏は、ラビア・スポーツクラブのディレクターである。
彼は自分が教える子供たちが、再び自由にサッカーをプレーできるようになったことに、心から喜びを感じている。彼はイスラム国が、この地域を支配した2年前の様子を語る。
「サッカー禁止を宣告されて、怒りと悲しみが同時にわき起こった。涙を浮かべる人たちもいた」
廃墟のすぐ隣で、サッカーの試合をする人々。
現在、毎晩のように彼のもとには多くの子供たちが集まって来る。
小さな子供のなかには古着にサンダル履きもいる。パスを出し、シュートを打つたびに土埃が舞いあがる。試合の際には、間に合わせのビブスをユニフォーム代わりにする。少し離れたところ、街が解放されたときに破壊された病院の廃墟から数百メートルのあたりでは、年長者たちがずっと真剣に試合を戦っている。所属するクラブも彼らには、ちゃんとしたユニフォーム一式を提供している。
「彼らがこんな風に走ってプレーするのをまた見れるとは……。2年前にイスラム国が占領していたときには、若者たちのこんな姿は想像できなかった」と、夕涼みを兼ねて試合を見ていたある観戦者は感慨深げに語った。