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ベイスターズの2016年は最高だった。
始まりは「またか」、最後は涙。

posted2017/01/01 11:30

 
ベイスターズの2016年は最高だった。始まりは「またか」、最後は涙。<Number Web> photograph by Kyodo News

CSで巨人を下した直後のラミレス監督とベイスターズナイン。ファンが勝利を信じられるようになったのも、彼らの真剣さがあればこそだ。

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村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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Kyodo News

「3年でCS出場、5年で優勝」

 それは2011年のオフ、DeNAがベイスターズの親会社になった時に掲げた目標であった。

 華々しい船出と共にはじまったDeNAベイスターズ。その現実は、若い選手が徐々に台頭を遂げ、横浜スタジアムに足を運ぶ人たちの数も年を追うごとに増して行った。しかしこと順位に関しては、2年が経って、ようやく最下位を抜けての5位。4年目だった去年は最下位に逆戻りという有言不実行ぶりである。

 それは、「大チャンス」といいながらソロホームランばかりで、「なせば成る」と達観してもどうにもならず、「自責点を100個減らせばうんたら」とアナライジングしても逆に75点増えてしまった、あの日の虚しい絵空事をなぞるような、うすら寒い予感を漂わせていた。

 球団はこの「5年目」という境目の年に“結果”を残すことに並々ならぬ決意を示していた。それは、昨オフ、新監督選びの条件として“勝てる監督”を条件に上げていたことからもわかる。

“物凄い情熱的なプレゼン”でラミレス監督が誕生。

 町中に覚悟のあらわれのように「5」のタペストリーが翻る中、白羽の矢が立ったのがA・ラミレス。現役時代から日本で監督をやることを目標に据えていた初の名球会外国人選手は、交渉の段階でこのチームを勝たせるための秘策を、本人言うところの“物凄い情熱的なプレゼン”で球団社長・GMにぶちかまし、憧れの監督の座を射止めた。

 ラミレス新監督が持ち込んだ改革の柱のひとつは、チームの背骨を確立することだった。

 打の柱は4番筒香嘉智。前年、4番として大きく飛躍を遂げたこの長距離砲に、新監督のラミレスは武者修行先のドミニカにまで訪問して4番としての期待を寄せた。

 投の柱は山口俊。2014年に抑えから先発へ転向し月間MVPを2回獲るなど才能を開花させ掛けたが、2015年は夏場から不調に陥り3勝6敗。この一軍と二軍を行き来するポテンシャルのバケモノに、ラミレスは早々に開幕投手を告げ「このチームのエースである」ということを告げた。

【次ページ】 梶谷、山口、石川を欠いた3月4月は最下位スタート。

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