Jをめぐる冒険BACK NUMBER
レアル相手に「2位も最下位も一緒」。
あの30分が、鹿島をさらに強くする。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byTakuya Sugiyama
posted2016/12/19 15:30
いいストライカーがいいDFを育てるのだとすれば、ロナウド、ベンゼマとマッチアップする以上に貴重な経験などありえない。
昌子「僕は通用したとは思ってない」
そして何より、外野が指摘する前に、彼我の差は、ほかでもないピッチの上の選手たちが一番よく分かっている。決勝で改めて能力の高さを証明したDF昌子源が言う。
「見ている人は案外できたんじゃないかって思うかもしれないですけど、けっこうしんどかった。僕は通用したとは思っていない。相手のコンディションもあるだろうし、いろんなことが重なって、僕らにアドバンテージがあった」
実力差はいかんともしがたいくらいにあった。だが、ホームの利も含め、戦術、戦略、鹿島らしい粘り強さとファイティングスピリッツ、そして、柴崎岳の左足でその差を詰めて、可能な限り勝利の可能性を高めようと彼らはしていた。
相馬直樹が語っていた、濃密な試合の成長効果。
延長に突入した試合は、クリスティアーノ・ロナウドに役者の違いを見せつけられ、点差を2点に広げられた。それでも勝利を目指して鹿島が相手陣内に攻め込み、翻弄されながらも食らいつく延長後半の戦いぶりを眺めながら、ふと思い出したのは、黄金時代の鹿島の一員だった相馬直樹さん(現町田ゼルビア監督)のこんな言葉だった。
「優勝争いに絡めず10月、11月のうちにシーズンが終わってしまうようなチームもあるけれど、僕は鹿島時代、毎年のように優勝争いをさせてもらい、チャンピオンシップまで何度も経験させてもらった。たかだか1、2カ月と思うかもしれないけど、3年、5年と積み重なれば、それを経験した選手とそうでない選手の差はものすごく大きなものになる。だから自分が日本代表になったり、ワールドカップに出られたのは、鹿島で濃密なシーズン終盤を何年にもわたって経験させてもらったおかげだと思っている」
'96年のJリーグ制覇に始まり、'97年のジュビロ磐田とのナビスコカップ決勝とチャンピオンシップの伝説の4連戦、'98年の磐田とのチャンピオンシップ、2000年の三冠達成など、相馬や本田泰人、秋田豊らが繰り広げた激闘の数々は、いまなお脳裏に焼き付いている。彼らはそうした経験を重ねてリーグを代表する選手になり、鹿島はJリーグで頭ひとつ、ふたつ抜け出す存在になっていった。