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内藤哲也がタッグリーグ改革も放言。
「どうせ手抜き」とは言わせない!
posted2016/11/17 11:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Tadashi Shirasawa
早いもので、2016年も残すところ1カ月強。プロレス界にタッグリーグ戦の季節がやってきた。
11月18日に新日本プロレスの『WORLD TAG LEAGUE』が開幕し、全日本プロレスの『世界最強タッグ決定リーグ戦』は、その2週間後の12月3日に開幕。それぞれ、タッグチームナンバーワンを決して、2016年のシリーズを締めくくることとなる(単発興行は除く)。
アメリカのWWEも現在、NXT枠で『ダスティ・ローデス・タッグチーム・クラシック(通称・ダスティ杯)』というタッグトーナメントを開催中。飯伏幸太が、現WWEクルーザー級王者TJ.パーキンスとタッグを結成し出場中だ。今年の年末は、世界的なタッグの季節となった。
タッグリーグ戦がプロレス界で年末の風物詩になった背景には、やはり年の瀬はNHKの『紅白歌合戦』と同様に、勝負論というよりオールスターメンバーによる華やかな祭典が求められるという、ファンのニーズがあるのだろう。
かつてあった「タッグは当たらない」というジンクス。
プロレス界に年末のタッグリーグ戦を定着させるきっかけを作ったのは、なんといっても'77年の全日本プロレス『世界オープンタッグ選手権』。
「世界各地域から代表チームを選出し、さらに国内他団体にも門戸を開放し、最強のタッグチームを決定する」というコンセプトで開催された大会だ。優勝決定戦でアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークの“史上最凶悪コンビ”の反則攻撃で血だるまになりながら勝利した、ザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク)の人気が爆発。それまで日本プロレス界にあった「タッグリーグや年末の興行は当たらない」というジンクスを払拭する大成功を収め、翌年からは『世界最強タッグ決定リーグ戦』と名称を改め、現在まで続く全日本プロレスの看板シリーズとなっている。