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還暦前の大仁田厚が広げた大風呂敷。
旧川崎球場で「最後の」電流大爆破。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2016/09/20 07:00
新団体の「ファイヤープロレス」のコンセプトは「爆破エンターテイメント」。「地方創生」「イジメ撲滅」を掲げ、地方を中心に興行を行なっている。
2017年春、旧・川崎球場で「最後の大仁田厚」を。
大仁田のデスマッチの基本は有刺鉄線、ストリート・ファイト。これに電流爆破や地雷やバットやボードが加わる。
大げさに言えば、イスと机は必要アイテムだが、リングはなくてもいい。
昔のFMW時代、大会会場にリングが届かなかったときには、体育の授業で使うマットを体育館の床に敷いて急場をしのいだ。
グレート・ニタという化身も巧みに登場させる。
もちろん、武藤敬司のグレート・ムタの模倣、悪く言えばパクリだが、そのムタともかつて神宮球場で戦った。
そうこうしているうちに……大仁田も来年には還暦を迎える。
還暦を前に広げた大風呂敷が「2017年川崎球場=現・富士通スタジアム川崎での電流大爆破マッチ」だ。
大仁田は、この川崎までを「余命」だと表現する。ここで「最後の大仁田厚」を見せるのだと言う。
誰も、最後だと思わないかもしれないが、それは自由だし、かまわない。強く否定もしない。
でも、本当に最後かもしれないのだ。最後なんて突然やってくるものなのかもしれないし、それはだれにもわからない。
時が近づいたら「でも、でもな。みんな、オレは川崎で待っているから!」と呼びかけるだろう。
「何が飛び出すかわからない」というキャッチフレーズには今でもウソはない。
川崎球場の泥くささが、大仁田にぴったりだった。
大仁田は1990年8月4日、JR汐留駅跡地のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチでブレイクした。「プロレス大賞」の年間最高試合にも選ばれた。
その後、大仁田が好んだ大会場が川崎球場だった。泥くさくて、大仁田にぴったりだった。
ここに、テリー・ファンクや天龍源一郎も引っ張り出した。
ハヤブサとの引退試合も川崎だった。
ここで大仁田は2度目の引退をした。
「絶対につぶさない」と連日、絶叫していたFMWはつぶれた。だが、これもまた「超戦闘FMW」として復活させた。
他のデスマッチとの区別は定かではないが、「大花火」や「超花火」と呼ぶ爆破エンターテインメントの大会もある。
大仁田はそんな試合に、曙や船木誠勝まで引っ張り出していた。