プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
還暦前の大仁田厚が広げた大風呂敷。
旧川崎球場で「最後の」電流大爆破。
posted2016/09/20 07:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
大仁田厚は来年「還暦」を迎えるが、今、なぜか元気だ。
「地方創生」をうたい文句に、小さな町にも積極的に出かけて行っては、次々と試合をこなしている。
大仁田は「これが最後、これが本当に最後」と、何回も引退した。それなのにその数だけ復帰して、もうカウントしたくなくなるほど、数多くの新団体や新プロモーションを立ち上げてきた。
8月末にディファ有明で旗揚げ戦を行った「ファイヤープロレス」も大仁田の団体だ。昔の名前を思い出したようにメキシコからチャボ・ゲレロまで呼んできてのパフォーマンスだった。
9月26日には後楽園ホールでの「FMW」の興行にも出る。
「生きるために、デスマッチを戦っているんです」
「大仁田厚はうそつきだ」と面と向かって言ったことがある。
そうすると大仁田は「うそつきはないでしょう」と返すが、まんざらでもない表情だ。
「オレ、毎回、デスマッチやっているけれど、死ぬためにやっているんじゃないですよ。生きるために、こうやって生きている証としてデスマッチを戦っているんですよ。わかりますか」
大仁田は敗血症で以前、本当に死にかけたことがある。だが、知人にも「オオカミ少年」のパフォーマンスだと受け取られた。
さすがの大仁田も、あの時は「だれも信用してくれなかった」と嘆いた。
実家が長崎の風呂敷屋の大仁田は、大風呂敷を広げるのが子供の時から得意だった。
自転車で日本一周の旅にも出かけたし、中学校の2階から「坊っちゃん」のように飛び降りたこともある。
そんなパフォーマンスを、広げて、広げて、プロレスラーになって、勢いで国会議員もやった。
大仁田にしてみれば、「引退」でうそをついたつもりなどない。ただやめた後で、またやりたくなっただけだ。そして、それがたまたま何度も繰り返されたわけだ。
「うそつきで何が悪い」と開き直ったこともあるが、これが大仁田の言い分ということになる。