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“世紀の対決”アリ戦から40年。
猪木・IGFは中国大陸を攻める!
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2016/09/08 11:30
今年中にはマカオで「アントニオ猪木vs.モハメド・アリ 格闘技世界一決定戦40周年記念大会」を開催予定というIGF。
当時は本当に散々だった「世紀の対戦」の評価。
3分15ラウンドが過ぎていくのは私には早かった。
猪木も肉体の疲れとは別に、とぎれとぎれの15ラウンドを精神的には短く感じただろう。
一方、アリはこれほど長い戦いを想定していなかった。5ラウンド前後が「ショータイム」になると勝手に思っていたはずだ。
日本でのテレビ中継はライブではなかった。NETの放送は試合終了後の午後と夜の2度行われた。
猪木は試合終了後から針のムシロだった。
夕刊は一般紙も含めて速報したが、戦いを評価するものは主催社以外なかった。翌朝のスポーツ紙もこれに追随した。
注目度が高かっただけに、その反動はすさまじいものだった。猪木と新日本プロレスが背負った借金とダメージは膨大なものになった。
アリは猪木に蹴られたことでヒザの裏に血栓症を患って入院した。あれがなかったら、伏兵レオン・スピンクスなんかに敗れることもなかっただろう。
もっと長くボクシングができたかもしれなかった。
アリの生き方そのものだった、猪木vs.アリ戦。
猪木とアリの戦いが評価されるにはずいぶん長い時間がかかった。
猪木vs.アリ戦は、ボクサーとしてのアリのオフィシャルなストーリーからしばらく省かれていた。
だが、アリ自身はこの戦いを決して忘れることはなかった。
「俺が元祖の総合格闘家だ」とツイートしたこともある。
でも、アリが亡くなった時、英字紙を含めた海外メディアはサイドストーリーとしてこの猪木vs.アリを大きく取り上げた。
それはかつてベトナム戦争での徴兵を「罪のないベトナム人に銃口を向けることができない」と拒否して、ボクシング・ライセンスと世界ヘビー級王座を剥奪されても、アメリカと戦って勝利したアリの「生き方」から省くことができなかったからだ。