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“世紀の対決”アリ戦から40年。
猪木・IGFは中国大陸を攻める!
posted2016/09/08 11:30
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
猪木vs.アリ40周年を記念した9月3日のIGF・東京ドームシティホール大会に、残念ながら40年前の緊張感はなかった。
グローバルな戦略としての中国進出はいいだろうが、メインがタッグマッチというのは好きになれない。
鈴川真一、船木誠勝vs.青木真也、アレクサンダー大塚。
鈴川はやたら元気だったし、強くなっていたが……。
「もう俺がプロレスラーだったことを知らない人たちが、会場に来ているでしょう。ああ、“グラブってる”のは、知っているでしょうけれど、ウフフ」
北朝鮮にも一緒に行ったアリと猪木。
アントニオ猪木がモハメド・アリと戦って40年になる。試合のあった6月26日は、「世界格闘技の日」に認定された。
「なんだ猪木、アリ」「世紀の茶番劇」と、酷評された戦いの後、不思議な友情で結ばれた2人だったが、アリはこの夏に天国へと旅だった。
長らくパーキンソン病とも戦っていたアリだったが、1995年には北朝鮮で行われた猪木主催の平和のイベントにやってきて、元気に笑顔を見せていた。
1976年6月26日、日本武道館には朝早くから「世紀の一戦」を見ようと、観客が詰めかけた。時間はアメリカでの別の格闘技戦やクローズドサーキットに合わせたもので、午前中にメインのゴングが鳴るというものだった。
リングサイド30万円、てっぺんの長イス席で5000円という当時としては破格の料金設定だった。
もし猪木が勝ったらこの先どうなるんだろう?
アリはエキシビション・マッチのつもりで来日したことになっている。たとえ、エキシビションでなくても、日本のプロレスラーの1人くらい、わけがないものと思っていた。マネジャーとして、元プロレスラーで友人の吸血鬼フレッド・ブラッシーが帯同していた。
だが、あおりのイベントを重ねるうちに、アリは「ペリカン野郎」と呼んでいた猪木が怖くなってきた。スパーリングを見たら、なおさらだった。
アリばかりか、アリに何かあったら大変な一族が敏感になって、無理難題をつきつけて、猪木を金縛りにした。
私も日本武道館にいた。あのゴングが鳴った時の緊張感は特別のものだった。もし、猪木が勝ったらこの先どうなるんだろうという思いもあった。
猪木はマットに寝ころんだ。
この時の観客の反応は、まんざらでもなかった。
「猪木やるじゃないか」に近いものだった。
猪木はこの寝ころんだ、あるいはヒザをついた低い姿勢から、アリに近づいてキックを繰り出した。
この蹴りには殺気があった。