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板橋美波、飛び込みで80年ぶり入賞。
“知られざる競技”の奮闘に光を!

posted2016/08/20 17:30

 
板橋美波、飛び込みで80年ぶり入賞。“知られざる競技”の奮闘に光を!<Number Web> photograph by JMPA

大会前には、「飛び込み界を変えたい!」と発言していた板橋。「東京五輪では金を目指します」と宣言した。

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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JMPA

 女子高飛び込みで、板橋美波が入賞を果たした。同種目では、1936年のベルリン五輪以来、実に80年ぶりの入賞である。

 16歳の板橋にとって、初めてのオリンピックの舞台だ。それだけの長い間、世界の厚い壁に阻まれてきたことと合わせて考えても、大きな成果である。

 「世界の女子でただ1人だけしかできない」ことから大きな武器としてきた大技「109C」(前宙返り4回半抱え型)は、リオデジャネイロ入りしてからの練習で出来がよくなかったことから決勝では回避。着実に上位を目指しての入賞でもあった。

 これまでの日本の高飛び込みの歴史を考えると十分に偉業と言える結果に対し、板橋は、こう語っている。

「うれしい気持ちと、悔しい気持ちがあります」

「悔しい」――というのは、板橋自身にずっと秘めた思いがあったからだ。

「飛び込みという競技を知ってほしい」という願い。

 板橋は、小学3年生のときに飛び込みを始めた。本格的に高飛び込みを始めてからは「学校がある日は1日約4時間から5時間くらい。休日の1日練習のときは午前9時から午後7時まで」と、練習に明け暮れた。多い日は、実に10時間以上も練習し続けてきたのである。

 その過酷な練習を支えていたのは、オリンピックでメダルを獲りたいという何よりも強い思い。そして、そのメダルへの思いの奥底には「自分が好きな飛び込みという競技をもっと皆に知ってほしい」という願いがあった。

 自身が寝食を忘れるほど打ち込んできた競技を、日本では知る人が多くない。その競技そのものを見てもらう機会すら、なかなかない。

「オリンピックでいい結果を出して、少しでも多くの人に知っていただけたらいいなって。もっとたくさんの方から、飛び込みをやりたいという言葉が出たらいいなと思っています」

 飛び込みというスポーツジャンルのリーダーでありたいの? そう尋ねると、こう答えた。

「はい。もっともっと広めていきたいと思っているんです」

 だからどうしてもメダルが必要なのだ、と続けた。

 その「絶対にメダルをとる」という目標がかなわなかったから、五輪初出場で決勝に残り、しかも80年ぶりの入賞という快挙を果たしたにもかかわらず、悔しい気持ちに駆られたのである。

【次ページ】 テコンドー濱田真由は金メダルを目標にしたが……。

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