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EUROで史上初めて実現した兄弟対決。
アルバニアとスイスに別れた“運命”。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAFLO
posted2016/06/28 17:00
弟はスイスの10番を背負い、兄はアルバニアの14番を背負う。しかし彼らの心には「コソボ」も確かに生きているのだ。
移民先の国で代表になる選手はグラニト以外にも大勢。
アルバニアは小さな国だ。
イオニア海を挟んでイタリア半島の“かかと”に面する小国が、1912年の独立以来、国際スポーツ界にもたらした業績はほとんど何もない。
10年以上前、FWパナヨト・パノという選手がアルバニア史上最高選手に選定されたらしいが、その名を聞いても世界中のサッカーファンは正直ピンとこないだろう。
2011年冬に代表監督に就任したイタリア人指揮官デビアージは、アルバニアの実力をすぐに看破すると「周りの強豪国がカラシニコフで、この国は(投石器の)パチンコ」と言い表した。
隣国の戦術大国から来た指揮官にとって見過ごせなかったのは、アルバニアのパスポートを持ちながら、移民先の代表となることを選択する有力選手が数多くいることだった。
特に多くの移民が避難先に選ぶスイスの囲い込み政策は顕著で、同国が今大会に招集した代表23人のうち、外国人を両親に持つ者は参加国中最多の14人に上る。
アーセナルへの今夏移籍が本決まりとされているMFグラニト・ジャカ(ボルシアMG)やセリエAで長く活躍したMFベーラミ(ワトフォード)らは、アルバニアが逃した才能の一部だ。
U-15代表を作り、「歴史を作ろう」と呼びかけた。
タレントの流出を防ぐためにデビアージが講じた策は、協会に進言してU-15代表チームを創設することだった。
選手の勧誘合戦で裕福なスイスに張り合うことは難しい。しかし「歴史を作ろう」という呼びかけを意気に感じた若者たちは、アルバニアからの招集に応じた。
デビアージの忠実な副官トラメッザーニは、埋もれた才能を発掘するために国中を飛び回った。小国の財布は薄く、前例のない数の視察に「金の無駄遣いだ。物見遊山の旅行だ」と批判を浴びながら、国外のスカウト網も整備し、外国リーグでプレーする無名の若手も積極的に抜擢した。
たとえ相手が協会のお偉方であっても、デビアージは自らが見込んだ選手の起用には決して口を挟ませなかった。