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EUROで史上初めて実現した兄弟対決。
アルバニアとスイスに別れた“運命”。

posted2016/06/28 17:00

 
EUROで史上初めて実現した兄弟対決。アルバニアとスイスに別れた“運命”。<Number Web> photograph by AFLO

弟はスイスの10番を背負い、兄はアルバニアの14番を背負う。しかし彼らの心には「コソボ」も確かに生きているのだ。

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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AFLO

 激戦が続くEURO2016、初出場だったアルバニアはグループリーグで敗退した。

 彼らのハイライトは、歴史的初勝利を挙げた3戦目のルーマニア戦よりも、初陣のスイス戦だったように思う。

 同カードでは、EURO史上初の兄弟対決が実現した。

 アルバニア代表になった兄タウラントとスイス代表を選んだ弟グラニト。ジャカ兄弟は、国を違えて戦うことを選んだ。彼らは、欧州中に散らばっているコソボ難民の2世だ。

 今からおよそ四半世紀前、コソボ独立運動家だったアルバニア人の父がスイスの山間の町バーゼルへ逃げ延び、ジャカ兄弟はそこで生まれた。幼くしてサッカーと出会い、地元クラブのバーゼルでプレーヤーとして成長した。

 兄弟はともにトップチームへ昇格し、年代別スイス代表にも呼ばれるようになったが、弟グラニトが2歳年上の兄とは身長も才能も別のレベルにあることが知れ渡るのに時間はかからなかった。

 '09年のU-17W杯を制し、スイス代表として同世代の頂点に立った弟は、A代表でもそのまま生まれ育ったスイスを選んだ。周囲の期待通り、グラニトは若くしてA代表に定着した。

グラニト「俺は裏切り者なんだろう」

 2012年の9月、ブラジルW杯予選の試合で、グラニトはスイス代表としてアルバニアと対峙した。試合は2-0の完勝だったが、当時19歳だったグラニトは空っぽのゴールへ放り込むだけの絶好機になぜか委縮し、失敗した。

 故国へ背を向けた彼には、アルバニアのサポーターから刺すようなブーイングが浴びせられた。

「試合中、自分は何をすればいいのか、どう振る舞えばいいのかわからなかった。アルバニアのファンにとって俺は裏切り者なんだろう」

 両親を前に晴れがましい舞台になるはずが、グラニトは心に深い傷を負った。

 一方で、この先スイスA代表と縁のないことを見越した兄タウラントは、翌'13年に両親の故国アルバニアの代表になることを選択した。

 赤地に白十字ではなく、黒い双頭の鷲が躍るユニフォームを着て、2年前に始まったEURO大会予選でA代表デビューを果たした。敵地でC・ロナウドのポルトガルを破る金星だった。

【次ページ】 移民先の国で代表になる選手はグラニト以外にも大勢。

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