ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
内藤哲也に新日“直言”の系譜を見る。
彼の暴言三昧がなぜ喝采を受けるか。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byEssei Hara
posted2016/06/16 11:00
IWGPのベルトをリングに捨ててリングを降りるパフォーマンスも、ファンは喝采で見送った。内藤哲也はどこまでいくのだろうか。
制御不能の暴言三昧だが、喝采で迎えられている。
そして、オカダを破りIWGP王者となった直後、石井智宏がリングに上がり挑戦をアピールし、それがあっさりと認められると、「俺は『NEW JAPAN CUP』で優勝して挑戦権をつかんだのに、2回戦で負けてる石井がリングに上がっただけで挑戦できちゃうの?」と、もっともなことを言う。
さらに、新日本の木谷高明オーナーが、オカダ・カズチカを真のスターにするための2億円をかけたプロジェクトがあることを明かすと、「これって要するに、新日本の全レスラーに対して、今後どんなに頑張ったとしても誰もオカダの上には行けませんよって、オーナーが認めちゃってるってことでしょ?」と、オーナーの発言にまで噛みつき始めたのだ。
まさに制御不能の暴言三昧といった感があるが、不思議なほど嫌悪感はなく、逆に喝采をもって受け入れられている。それはプロレスという多くの矛盾を含むことで成り立つ特殊なジャンルにおいて、ファンが潜在意識の中で「おかしいのでは?」と思っていることを、代弁してくれているからであろう。
ファン自らも無意識のうちに自主規制し、指摘することをタブー視していた不満や疑問を解放してくれる、そんな爽快感が内藤の発言にはあったのだ。
一世を風靡した蝶野に、そして長州に似ている。
そんないまの内藤は、'90年代に一斉を風靡した、nWoジャパン総帥時代の蝶野正洋のようだという声をよく聞く。当時の蝶野はヒールキャラにまかせて、「取締役連中は仕事もせずにゴルフ三昧!」、「選手をおもちゃにしている。この会社は腐ってる!」と、本音の会社批判を連発。たしかにその姿は制御不能な内藤と重なる部分が多い。
ただ、内藤の急激なブレイクは、蝶野以上にかつての長州力を彷彿させる。内藤は長く低迷が続いたあと、メキシコ遠征を機に変貌し、飛躍のきっかけをつかんだが、じつはそれはかつて長州が歩んだ道だったのだ。