2016年の高橋由伸BACK NUMBER
「男」を捨てて「さん」を選んだ!?
巨人・村田修一にG馬場の面影を見る。
text by
プチ鹿島Petit Kashima
photograph byHideki Sugiyama
posted2016/05/17 11:00
実力、存在感ともに、そのイメージがますます巨人で大きくなっている村田――併殺打でこれほど盛り上がる打者もいないか!?
謙虚な言動は巨人ファンへの遠慮の表れか?
今年のはじめ、村田は岡本と一緒に自主トレで過ごした。「抜かれないようにするのが今までポジションを守ってきた人の宿命。それを抜こうとするのが今からレギュラーになろうという人の宿命。切磋琢磨していきたい」と語った。
しかしこれ、WBCで日本の四番を務めてホームラン王にも2度なった男が、一軍実績がほぼ無い若者相手に言うセリフだろうか。
私は思うのだ。
もしかしたら、村田はいまだに巨人ファンに遠慮があるのでは? と。
ただでさえ昨季の自分の成績は悪く、今年レギュラーを争う相手はファンの期待を背負う「生え抜きの2年目」である。グランドでは遠慮はしないだろうが、ファンに対しては引け目を感じているのではないか。
先ほどの村瀬氏のインタビューでは村田はこんなことを言っている。
「今でも横浜スタジアムに行く時は、ドキドキするんですよ。他の球場とは違いますね。なんでなんだろう。うん。今でもドキドキするんです。ブーイングも未だにありますよね。そりゃ最初はショックでしたよ。でも今はちょっと違うんです。なんていうんだろう。僕のことをまだ見てくれている人がいるんだっていうね。最近は少なくなっていましたから。」(『4522敗の記憶~』)
ブーイングにはドキドキするが、なければないで忘れ去られているのではと思う。野球選手とはなんと繊細な人たちか。
ゲッツーにたおれる村田を許容する風潮が。
でも村田選手には安心してほしい。巨人ファンは確かに岡本には期待しているが、村田のこともちゃんと見ている。
とくに最近は村田をすべて受け入れはじめたと思う。その筆頭が「村田のゲッツーを楽しむ」という“思想”だ。『プロ野球死亡遊戯』の著者である中溝康隆氏は村田修一のゲッツーを「超芸術的・アート作品」と解釈して「ファンがネタとして笑っていられる内は大丈夫」と書いた。もともと人気ブログだった同書だが、昨年書籍化されたことで世間一般に村田の見方がさらに浸透しているようにみえる。
いま村田が「ゲッツーのチャンス」を迎えると球場は静かにソワソワする。ゲッツーが出ても、ヒットが出ても「いいものを見た」感があふれる。球場で体感してほしい。