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柔道連盟が五輪選考の委員会を公表!
選考委員も立場を示し、責任を持て。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byKyodo News

posted2016/03/27 10:40

柔道連盟が五輪選考の委員会を公表!選考委員も立場を示し、責任を持て。<Number Web> photograph by Kyodo News

全柔連の山下副会長は昨年行われた日本スポーツ仲裁機構(JSAA)のシンポジウムでも、選考の透明性を訴えた。

選手達は一発選考を必ずしも望んでいないことも多い。

 実は今回の措置は、スポーツ界に一石を投じる意味を持つ。

 これまで、代表選考のあり方についてどう考えているか、柔道に限らず、選手に話を聞く機会が何度もあった。実は選手の多くは、競泳を除けば総じて一発選考を必ずしも望んでいるわけではない、というのが私の印象だ。

 その上で多かったのは「なぜ選ばれたか、なぜ選ばれなかったのかをきちんと知りたい」という希望だった。

 その発言が意味するのは、選考理由が選手に伝わっていないことだ。

 どの競技団体も、選考後は記者会見などを開き、代表発表とともに選んだ理由を話す。しかしそれが少なくとも選手や指導者にとっては、十分ではないと感じられているのだ。選考する側の説明があいまいだと感じている人も少なくない。

 議論して決める以上、誰もが納得のいく、明確な基準があるわけではない。たいがい、選考基準は含みを持たせている。解釈を後付でする余地が残されていたりもするし、「活躍が期待される」といった類の、どうとでもできる内容が含まれていることもある。

 解釈に幅があるから、選考する側の価値観によって基準は揺れ動く。マラソンの代表選考、特に昨年の世界選手権はその一例だ。

 そのとき、選手側は理由を求める。選考する側の主張する説明と、選手側が要求する説明の間には、大きなギャップがある。

 そういう意味で、全柔連の公開は大きなきっかけとなりうるのだ。

オープン化は影響力も含め注目の試み。

 そもそも選ぶ側と選ばれる側とで、力関係が平等ではないケースが多くなかったか。選手は俎上にあげられる。しかし選考する人々の責任が問われることは少ない。

 本来、選ぶ側にこそ大きな責任がある。責任を背負うからこそ、選手を選考する資格を持つ。なのに、会議での個々の発言は公にされないから、どういった考えで選考会議に臨み、どう主張したのか、結論をどう捉えているのかはあいまいなままだ。個人の責任が問われないことは、選手への説明不足にもつながっているだろう。

 公開された場での発言には、責任がともなう。思ったことをそのまま言うのも勇気がいるかもしれない。だが選考対象となる選手の立場を考えれば、選考する側も自らの立場を引き受けなければならない。

 全柔連の今回のオープン化は、選手たちにどのように受け止められるのか。さらにはスポーツ界でどんな反応を得ることになるのか。

 代表選考をめぐる問題が記憶に新しいからこそ、発表後の影響も含め注目の試みである。

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