熱血指揮官の「湘南、かく戦えり」BACK NUMBER
どうすれば選手に心が伝わるか――。
湘南・曹監督が考える理想の指導者。
posted2016/03/09 12:00
text by
曹貴裁Cho Kwi-Jae
photograph by
Shonan Bellmare
本連載では、湘南ベルマーレを率いる曹貴裁監督が、試合に臨むまでの過程を記した前週の日記と実際の試合結果を受けての胸中を同時に紹介。
悩み、考え、決断する監督のリアルな声を毎週お届けします!
今週は――「指導者としてあるべき姿を考える」というテーマです。
*本連載ではチョウ・キジェ監督の氏名表記方法につきまして、湘南ベルマーレとの協議により「曹貴裁」と統一いたします。
<第2節・川崎戦前週の監督日記>
●3月1日(火)
オフ(月曜日)明けのトレーニング。敗戦後のチームに対して、引き締めるか勇気を持たせるのか、または何も言わないのか。いろいろな考え方があるが、決めていることは、その時思った素直な気持ちを話すことだ。
今回はデータを使ってあることを伝えた。ペナルティエリアに入っていくという今年の大切なコンセプトとしては過去最高の数字をたたき出している。勝ち負けに対するプロセスを大切にしたいという僕なりのメッセージとしてとらえてもらいたい。チームとしてカウンターへの対処という課題はあるが、攻撃的に得点を狙っていくことが長年大事にしてきたチームスタイルの本質。負けはしたがブレずに続けていこう、と選手の背中を押した。
●3月2日(水)
改めて指導者としてあるべき姿を考える。
毎週、対戦相手の試合をチェックし、戦術を練る。一方で、指導者が選手に対し答えを全て出してしまっては、選手が状況、状況に応じて的確な判断ができなくなる。そればかりか判断することをやめ、他人任せのプレーが横行する。こういうプレーが多い時のチームは、負けたという結果以前に修復に時間がかかることが多い。
指導者は教える、選手は聞く。そうした主従関係で成り立つサッカーは、エネルギー自体が不自然なものになってしまい、「不公平な関係から形作られたもの」の域を越えることができない。「一方が正しい」ではなく「双方が納得できる」というエネルギーに、プレーしている選手、観ている人の心は動かされるのだと信じている。
指導者とは選手のそばに寄り添うものでもなければ、電車を先頭に立って引っ張るだけのものでもない。後方支援に徹する。それも違う。指導者は選手を中心としてそれを大きく覆うもの。物事の本質は選手で、それをしっかり覆いきれる存在。そういうものかなと感じている。
大げさに言えば「100%自分を磨いてくれるものである」という確信に近いものが選手の側にないと、指導者の存在は無どころか悪になる。自分がそう思っても選手に受け入れられない限り、メッセージに魂は宿らない。だから僕は日々、「この行為、言葉を選手は果たしてどう思うのか」と選手と自分自身に真剣に問いかけている。
●3月4日(金)
川崎戦前日の今日はセットプレー中心のメニュー。「前日にセットプレー」という流れはルーティーンとしてベーシックなものである。ただ今日は少し、「ボールを奪う姿勢」を意識させる話をピッチで選手にした。
高いテクニックと洗練された連動性でボールを保持する川崎に対し、ボールを奪うという作業はいつも以上に骨が折れる。明日はこの作業を90分間、いかに気持ちを落とさず継続できるかが鍵となる。そこで僕は選手に「猟犬とうさぎ」を例に出して話した。猟犬はいかなる時もそこにうさぎが通れば一目散に狩りに行く。本能的にそうなっている。明日の試合、選手は猟犬、ボールはうさぎ。
いかにして言葉を選手の心に刺さるようにするか、選手の腹にストンと落とすか。そういう時、こういったたとえ話も有効なひとつの手段として工夫するようにしている。選手はしっかり意図を理解し、トレーニングにも落とし込んでくれた。
明日は今季初のアウェーゲーム。見送りに来てくれたサポーターの方やフロントスタッフの想いも受け止めて戦おう。