濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
地味でグダグダだからこそ光り輝く。
元DEEP王者・白井祐矢の格闘技人生。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byHisao Yamaguchi
posted2016/03/03 10:30
13年間におよぶプロ人生を終えた白井(左)。ラストマッチでも最後まで自分のスタイルを貫いた。
職人的な堅実さに込められたプロの矜恃。
白井はアーティストではなかった。しかし優れた職人ではあったということだ。一瞬のひらめき、大胆な動きで観客の心を捉えることはなかったが、決して手は抜かなかった。
「こんなもんでいいや、という練習は一度もしなかった」と白井は言う。
地味で堅実な闘いぶりは、手順をおろそかにしなかったということでもあるのだろう。ジャブ、ローキックだけでなく、白井は蹴りの基本である左ミドルキックが得意な選手だった。組んでからも無茶はしない。まずはワキをしっかり差し、充分な体勢を作る。グラウンドでも、一足飛びに関節技を狙うことはなかった。最後の試合、ダウンを奪ったあとに仕掛けたのは肩固め。トップキープしたままかけることができる技で、ポジションを返されるリスクが少ない。
手を抜かず、丁寧に、手順を省かずに、間違いのない“仕事”をする。それが白井の、プロとしての生き方だった。頑張れば誰にでもできるようで、なかなかできないことでもある。彼は大舞台では勝てなかったが、そこであきらめずに自分なりの生き方を見つけたのだ。
「僕の人生がリングにあることを実感した」
引退式での挨拶で、白井はこう言っている。
「チャンピオンにもなることができて、僕の人生がここ(リング)にあるんだということを実感することができました」
間違いなく、彼は格闘技人生を自分のものとして生き切ったのだ。特別な選手ではなかったが、特別ではない選手が努力でたどり着ける最高の場所に到達した。それがDEEP王座だったのではないか。憧れの対象になるようなスターではなかった。しかし彼の生き方、闘い方は、自分が“持ってない”ことを自覚して生きていかざるをえない多くの人間にとって共感を呼ぶものでもあったと思う。
「現役生活、最高でしたね。本当にいい仲間ができて」と白井は言った。ただ彼の知らないところ、たとえば後楽園ホールの客席後方やバルコニーの立ち見スペースにも、白井祐矢という選手を“仲間”だと感じる格闘技ファンはいたはずだ。少なくとも、記者席には1人いた。