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サンウルブズ初代主将、
堀江翔太の“怪童”伝説。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byTadashi Shirasawa
posted2016/02/25 12:20
'15年はW杯での歴史的勝利に貢献、パナソニックではトップリーグと日本選手権の二冠を達成。日本の誇る背番号2番がサンウルブズを牽引する。
「ああ、あいつはすごい選手になったんやな」
高校は公立の雄、島本高校に進んだ。大阪では啓光学園(現・常翔啓光学園)や大工大高(現・常翔学園)、東海大仰星など私立高校の牙城が高かったが、3年生の冬、堀江を擁する島本高は、大阪府予選で大工大高を破って決勝にまで進出した。
「決勝戦、大阪ではテレビで放送されたんです。島本は惜しくも仰星に負けてしまったんですが、負けている試合なのに、アナウンサーが実況で『堀江! 堀江!』って叫んでいて。それを聞いた時に、ああ、あいつはすごい選手になったんやな、って。夜の公園の練習を思い出して感動しました」(同前)
前出の吹田ラグビースクールの元チームメイトもいう。
「僕は中学から啓光学園のラグビー部に進んで、小学校卒業後は堀江とはたまに顔を合わす程度でした。でも高校3年で共にオール大阪に選ばれて、静岡国体の時に久しぶりに一緒にプレーしました。当時は『高校日本代表になるよりもオール大阪になる方が難しい』と言われているくらいで、メンバーはほぼ全員が啓光、大工大高、仰星の“私学3強”。私立以外は堀江とあと1人だけでした。でも、堀江は国体で決勝まで進んだそのチームの中でも抜きん出ていましたね。ガンガン自分で突破するし、オフロードパスなんかも当時から普通にしていて。自分はベンチだったんですが、横で仰星の選手が『あいつヤバい』って驚いてました」
「日本のレベルを上げるには器用なフッカーが必要」
その後、進んだ帝京大学では主将として同校の現在の隆盛の礎を築き、卒業後はニュージーランドに渡って、学校の用務員のアルバイトをしながらクラブチームのアカデミーでプレーした。そして三洋電機(現・パナソニック)、日本代表、ニュージーランドのオタゴ代表、スーパーラグビーのレベルズ入団……とサクセスストーリーは続いていく。
「大学を卒業してニュージーランドに行く時に、それまでやっていたバックローからフッカーに転向するって言うから、『フッカーって、堀江っぽくないんちゃうん?』って正直に言ったんです。僕の中では彼はどんどん突破するナンバーエイト、っていうイメージだったので。そしたら『日本のレベルを上げるには器用なフッカーが必要なんや。カラダを張ることとかスクラムももちろん頑張るけど、トライが取れる、得点に貢献できるフッカーに俺はなるねん』って言ってました。ずっと前からあいつは、日本ラグビーの未来を見てたんですね」(前出・中学の同級生)
「今、堀江はホンマに世界一のフッカーじゃないですか? 僕は高校時代からスーパーラグビーが好きで衛星放送でよく見てましたけど……あそこまでパスができる、器用にボールに絡めるフッカーっていないですよね。一時期はオールブラックス(ニュージーランド代表)のケビン・メアラムが強烈でしたけど、今はもうだいぶベテランだし……。今だったら、オールブラックスのフッカーが堀江でも全然おかしくないというか。堀江の方が目立ってません?(笑)」(前出・ラグビースクールの元チームメイト)
夜が明けた日本ラグビーに、日の出の時が来た。2016年2月27日、秩父宮ラグビー場で“世界”に殴り込む日本の先頭に立っているのは、堀江翔太だ。