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サンウルブズ初代主将、
堀江翔太の“怪童”伝説。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byTadashi Shirasawa
posted2016/02/25 12:20
'15年はW杯での歴史的勝利に貢献、パナソニックではトップリーグと日本選手権の二冠を達成。日本の誇る背番号2番がサンウルブズを牽引する。
「堀江が来たぞー!」と叫ばれる中学時代。
中学バスケ部の同級生が回想する。
「入学してはじめて堀江を見た時、『肉団子みたいな奴がおる』と思いました。筋肉のかたまりが動いてる感じというか……。バスケ部はどちらかというと“ぽっちゃりデブ”が多かったんですが、彼だけ“引き締まったプロレスラー”みたいな、一言でいえば、“強いゴリラ”みたいな感じでした」
バスケットをかじり始めたのは小学6年の途中。経験の浅い堀江だったが、強豪中学でもすぐに頭角をあらわした。
「1年からセンターのレギュラーで、大黒柱でした。『スラムダンク』で言うと赤木、ゴリのポジションです。彼がゴール下でカラダを張ってリバウンドやスクリーンプレーで死守してくれたボールを、自分たちが外からシュートするのがチームの形だったんですが、僕らヘタなので外すんですよね(笑)。それを堀江が拾って、結局自分でゴールを決める。黙々とその役割をこなしていました。得点力はずば抜けていて、全国レベルの中学との試合中、相手の監督さんが『堀江が来たぞー!』ってコートの脇で叫んでいたのを覚えています。それくらい府内でもマークされる存在でした」(同前)
ただ体格に恵まれていただけではない。成長への意欲が人並み外れていた。
「バスケのボールって、小学校用のボール、中学校用のボール、高校・社会人のボールとサイズが大きくなっていくんですが、堀江は小学校の頃から高校・社会人のボールで1人で練習してたらしいです。普通の小学生には持ち上げることすら苦労するほどの重さだったと思うんですけど」(同前)
夜の公園でラグビーの練習。
ただ、バスケットの選手として成長を遂げているさなかにも、ラグビーへの情熱は片時も失わなかった。
「週末の夜、夕食後に堀江がたまに電話をかけてくるんです。『練習つきあって』っていうから、彼の家から自転車で15分くらいのところにある公園で集合するんですよね。何をするかって、ラグビーの練習です。堀江が自転車のカゴに積んでラグビーボールを持ってくるんですよ。灯りもとぼしい、暗い広場でパス交換をしたり、僕が蹴り上げたボールを彼がキャッチする練習をしたり。僕も楽しかったので断ったことはないですけど、彼はよく1人でもその公園に行って、夜に練習していたみたいです」(同前)
堀江はバスケットボールの選手としてもあまりに有望だったので、一度だけ、「高校でも一緒にバスケを……」と誘ってみたことがあるという。
「『やろうよ』って。でも『俺はラグビーやるから』と、即答で。逆に『ラグビーやろうや』って誘ってくるほどでした(笑)」(同前)