相撲春秋BACK NUMBER
“孤独”をまとった昭和の大横綱。
北の湖は大鵬を「オヤジ」と呼んだ。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byNaoya Sanuki
posted2016/01/06 12:00
理事長時代は多くの問題に悩まされた。“憎らしいほど強い”と評された大横綱は、62歳で惜しまれつつ逝去した。
大横綱のまとう、「孤独」。
「横綱は孤独である」
相撲界で、よく耳にする言葉だ。
今、一葉の写真が脳裏に浮ぶ。それは、大鵬、北の湖、貴乃花と、かつての大横綱――「一代年寄」を名乗る3人が、「大鵬道場」と呼ばれる大嶽部屋の上がり座敷に、肩を並べて座っているものだ。
「これ、かなり貴重な写真でしょう?」と、声を潜めるように言う写真の持ち主は、この時のシチュエーションについて、多くは語らなかった。
おそらく、2010年前後のものだろう。「貴乃花の乱」――当時、二所ノ関一門の枠を飛び出して理事選挙に出馬した貴乃花が、一門の「ゴッドファーザー」である大鵬の元を訪れた時のもの――と推察する。
3人のその表情は、それぞれに真摯に、土俵の一点を見詰めていた。ただまっすぐに視線を前に向けている。肩が触れ合うような至近距離にいながらも、3人の大横綱たちは、どこか「孤独」をまとっているように思えた、そんな写真だった。
大鵬、北の湖、ともに北海道出身、部屋も近所。
大鵬、北の湖ともに北海道出身である。
営林署で働きながら定時制高校に通い、16歳で相撲界に入門した大鵬。かたや、13歳で見出され、角界に飛び込んだ北の湖。そんなふたりが一代年寄として構える部屋は、わずか50メートル足らずの距離にある。ふたつの部屋が面する江東区清澄の道路は、通称「横綱通り」と名付けられている。
かつての北の湖は、千秋楽の打ち上げパーティが終わると、この道を通り、大鵬の元を訪れていた。それは大鵬が日本相撲協会の定年('05年)を迎える数年前から、相撲博物館館長を退任('08年)する、約5年ほどのことだったという。
この時期、大鵬の「心技体」の「体」は衰えつつあったが、まだまだ「心」は意気軒昂。ちなみに'02年から'08年までは、北の湖が理事長を務めた「第一次政権」と重なってもいる。