猛牛のささやきBACK NUMBER
イチローの部屋が残る寮も撤退へ。
オリックス、ついに神戸の地を去る。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKYODO
posted2015/12/11 10:40
イチローをめぐる栄光の記憶が詰まった青濤館。建物の今後についてはまだ未定だという。
選手たちも移転には好意的だが……。
選手の間でも「便利になるのでは」という声が主流だ。
海田智行は、「僕は(一軍と二軍の)行ったり来たりが結構あったので、これまでは(神戸と大阪の)荷物の移動が大変でした」と言う。
また、住む場所についても、これまでは京セラドームと神戸の間で探さなければならなかったが、今後は京セラドームや舞洲から近い場所を選べばよくなる。
'13年に西武からオリックスに移籍した原拓也は、西武時代と比較してこう語る。
「西武の時はファームの球場と一軍の本拠地が隣だったので、一軍の選手が昼間に二軍の試合に出てから、夜の一軍の試合に合流するということが結構あったけど、オリックスだとファームの球場が遠いのでなかなかそうはいかない。一軍で試合に出ていない選手は結構いるんです。その中には、試合勘が鈍るから(二軍の)試合に出たいという人は多いんです」
ただ、「ファンのことを考えたら、便利とは言えないんじゃないか」と危惧する選手もいる。
公共交通機関を使う場合は、舞洲は決して便利な場所ではない。
ほっともっと神戸や神戸サブ球場は、神戸市営地下鉄の総合運動公園駅のすぐそばにあるが、舞洲地区は近くに鉄道の駅がなく、JRの桜島や西九条、大阪市営地下鉄のコスモスクエア駅からバスを利用しなければならない。
今でも舞洲野球場や舞洲アリーナなどでスポーツの大会が行なわれる日は、帰りのバス停に長蛇の列ができ、一台では乗り切れないという状況だ。
ファンを呼び込むには、シャトルバスの運行などの配慮が必要になるだろう。
成長の場であった青濤館への愛着。
また、「神戸はいいところなので、寂しい気持ちもある」ともらす選手もいる。長く青濤館で過ごした選手ほど愛着は強いようだ。
6年間青濤館で暮らした伊藤光は、室内練習場を見渡しながら言った。
「ここがなくなるって、まだ想像がつかない。ここでいっぱい練習しましたし、(椎間板ヘルニアの手術後)リハビリをした場所でもあるので、寂しさはありますね。歳を取った時に、懐かしいなと思える場所がなくなる。今のうちに目に焼き付けておきます」