猛牛のささやきBACK NUMBER
イチローの部屋が残る寮も撤退へ。
オリックス、ついに神戸の地を去る。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKYODO
posted2015/12/11 10:40
イチローをめぐる栄光の記憶が詰まった青濤館。建物の今後についてはまだ未定だという。
誰よりも寂しい思いをしているのは神戸のファン。
そして誰より寂しい思いをしているのは、おそらく神戸のオリックスファンだろう。
確かに、青濤館がクローズアップされることは年々少なくなり、選手の出待ちをするファンの姿も今は少ない。
しかし、ともに震災を乗り越えたオリックスの選手が今も神戸に住んでいる、神戸を拠点に練習しているという事実は、ファンの心の奥底にいくらかのぬくもりを残していたのではないか。
今年4月、「震災20年~がんばろう神戸をもう一度~(あの時を忘れない)」と銘打ち、選手が当時のユニフォームを着て、ほっともっと神戸で行なった試合の盛り上がりを思い起こすと、そう感じられてならない。
「イチロー部屋に入るか?」「そんな、めっそうもない」
そしてもう一つ気になるのが、青濤館の今後だ。
1991年の完成以来、数々の名選手を輩出し、その代表がメジャーリーグ・マーリンズでプレーするイチローである。
イチローが住んでいた406号室には今も「鈴木一朗」のネームプレートが飾られ、空室のまま残されている。新入団選手が入るたび、「イチロー部屋に入るか?」「そんな、めっそうもない」というお決まりのやり取りが交わされてきた。
1月にはイチローが青濤館の室内練習場で自主トレを行ない、合同自主トレ中の新人選手が挨拶に行くのも恒例行事だ。
「オーラを感じました」
「想像していたよりすごく気さくな方でした」
そう言って、毎年、新人選手は目を輝かせた。
同じ愛知出身の伊藤は、新人の頃から毎年、イチローが青濤館にいる間に挨拶に行くのだが、「今年挨拶に行った時、『(選手)会長になったじゃん』と言われて、『あ、知ってくれてるんや!』とめっちゃ嬉しかったです」と野球少年のような笑顔になった。
瀬戸山本部長は、青濤館の今後については、「まだ何も決まっていない」と口をつぐむ。
オリックスの選手たちに多くの刺激をもたらしてきたイチローとのつながりは、青濤館の移設とともに薄れていくことになるのだろうか。今後の球団の決定に注目したい。