セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
本田圭佑の経営批判はなぜ問題か。
契約社会における“絶対的タブー”。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAFLO
posted2015/10/10 10:40
本田圭佑に対する処分をミランは検討中で、移籍の話も急浮上してきた。果たしてどんな結末が待ち受けているのか。
本田の発言は明確な越権行為。
本田は「契約下にある選手」、「監督」、「経営者」という各々の相互関係と職域を犯し、プロとして欧州社会の不文律やマナーを破った。
読者の中には、あれは健全な批判ではないのか、と思われる方もいるだろう。だがこの場合、言い方や言葉の中身は問題ではない。
選手契約を結んだ立場にある人間には、公の場で所属クラブの経営に疑問を呈する行為そのものが許されない。もちろん、絶対的な上司である監督の仕事のやり方に口を挟むこともタブー行為にあたる。
イタリア人の労働観については、いい加減だというステレオタイプがまかり通っているが、最終的には法律がモノを言う契約上の関係について、彼らが日本以上に自らの職務に厳格に専心する場面も多い。合理的なイタリア人は、絶対に上司と飲みには行かない。
ナポリ戦後の「なぜ(自分が)出られないのかわからない」、「代表クラスのチームメイトたちがなぜ生き生きとプレーできないのか」という本田の発言は、ミハイロビッチという上司に対する明確な越権行為にあたる。
口幅ったい言い方になってしまうが、これはサッカー界を越えた欧州社会全体の共通認識だといっていい。
「本田のためにヒットマンを雇うはずだからさ」
日本を出ている身の本田は「どうせ(イタリア・メディアは)さんざん僕のことを叩くんでしょう」と皮肉った。
だが、『ガゼッタ』紙を初めとする現地紙の報道は、彼を非難するものではなく、むしろクラブ批判というタブーを犯した本田の身を案じ、発言のトーンを和らげたと思われる記事が大半だったのだ。執筆した一人の記者に理由を尋ねたところ、返ってきた答えに苦笑させられた。
「さもなきゃ、自分たちの仕事に口出しされて怒り狂ったガッリアーニかミハイロビッチが、本田抹殺のためにヒットマンを雇うはずだからさ」
もちろん冗談だが、本田の発言は、そういう反応を受けても仕方ない、と思わせるほどモラルに反する行為だった。
だから、日頃イタリア向けの発言に乏しいために沈思黙考の人物と見られている本田のクラブ批判に現地メディアは驚き、その内容に多くのファンが理解は示しつつも、共感することを拒んだのだ。