錦織圭、頂への挑戦BACK NUMBER
錦織圭はリーダーとしても一流?
チームの空気を軽くする「ゆるさ」。
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byHiromasa Mano
posted2015/09/29 11:35
全米OPの苦い敗北から一転、仲間と共にキッチリとワールドグループ残留を決めた錦織。
錦織の意外なコメントがチームのムードを作りだした。
デビスカップの2勝2敗というシチュエーションで戦う選手のプレッシャーは、個人ツアーでは類のないものだろう。チームの命運を背負うのはダニエルだった。初日に2セットダウンから最終セットに持ち込みながら敗れたダニエルは、果たして気持ちを切り替えられているのか、ダニエルで大丈夫か……見ているだけで胃がキリキリするような状況の中、錦織は自分の勝利後のインタビューで最終試合についてのコメントを求められて、笑顔でこう言ったのだ。
“It’s gonna be an enjoyable match.(おもしろい試合になりますよ)”
「必ず勝ってくれると思います」でも「あとは太郎に託します」でもなく、「おもしろい試合になると思う」。皆さんどうぞ楽しんで、とでも言いたげなメッセージに、いつの間にか握っていた拳が、張っていた肩がフッとほどけるようだった。
ダニエルがこの言葉をリアルタイムで聞いたかどうかは定かでないが、そんな言葉が自然に出るチームリーダーが作るムードは、コロンビア入りしてからの数日間、常にチームの中に伝播していただろう。リラックスし、どんな状況も楽しもう。スペイン育ちのダニエルの気質なら錦織の真意を容易に理解できたに違いない。彼は初日の悲痛な敗戦から立ち直り、クレー育ちの持ち味を発揮したダニエルらしいプレーで、ファージャとの2番手対決をストレートで制した。
デ杯と日本にまつわる悲壮なイメージ。
振り返ると、日本のデビスカップにはよく悲壮なイメージがつきまとっていた。それは、アジア/オセアニアのグループゾーンから27年も抜け出せなかった歴史のせいかもしれないし、古くはデ杯戦に向かう船からマラッカ海峡へ身を投げた佐藤次郎氏の悲運も影を落としているかもしれない。昭和9年、1934年のことだ。日本はそれまで毎年のようにベスト4以上に進んでおり、その年、強豪オーストラリアとの1回戦を悲観していた佐藤は、日本のデ杯チームの名を「汚す」ことを危惧していたという。そんな中、船上で病にかかって一度は下船しながら、協会の命により遠征を強行した末の死だった。
今とはあまりにも時代背景が違う話ではある。しかし、錦織がデビュー以来「日本人初」とか「日本史上最高」といった記録を打ち立てるたび、日本での喧騒ぶりが海外にも伝わり、錦織が国内で置かれている立場を推測する記者たちは、時に〈ジロー・サトー〉の悲劇を引き合いに出した。しかし、錦織の明るさは日本の歴史が持つ影の部分とかけ離れている。