錦織圭、頂への挑戦BACK NUMBER

錦織圭はリーダーとしても一流?
チームの空気を軽くする「ゆるさ」。 

text by

山口奈緒美

山口奈緒美Naomi Yamaguchi

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photograph byHiromasa Mano

posted2015/09/29 11:35

錦織圭はリーダーとしても一流?チームの空気を軽くする「ゆるさ」。<Number Web> photograph by Hiromasa Mano

全米OPの苦い敗北から一転、仲間と共にキッチリとワールドグループ残留を決めた錦織。

佐藤の名前を知らなかった20歳の頃と、今。

 そういえば、錦織が最初に大ブレークした2年後のウィンブルドンの記者会見で最古参の記者が「ジロー・サトーという名を聞いたことがあるか」と質問したことを覚えている。錦織は「ノー」と答えた。記者は驚き、「'30年代に世界3位だった選手だよ」とか「日本の若い選手には励みになるはずなのに、なぜ知らない」などと言ったが、どんなヒントをもらおうが、どう非難されようが、知らないものは知らない。「ソーリー」の繰り返しだった。

 当時の錦織は20歳。13歳からアメリカに渡り、アメリカのテニスの中で育ったのだから無理もないが、あの後、少しはどこかで聞きかじっただろうか。そして、佐藤の重圧を少しは理解できるのだろうか。

 錦織は大事なグランドスラムでも「プレッシャーは感じない」といつも言う。しかしデビスカップだけはさすがに「独特の緊張感」を感じると話していた。そんな中、できるだけ普段と同じアプローチで勝負に臨むように努めてきた。チームリーダーとして、錦織らしい方法で若手を引っ張っていることがあのインタビューの言葉によく表れていた。

イギリスとの85年ぶりの巡り合わせ。

 ワールドグループ残留を決めた3日後、来年の組み合わせ抽選が行なわれた。日本の初戦の相手はアンディ・マレーを擁するイギリス。マレーもまた、ワンマンチームでしかなかったイギリスを今年決勝まで導いたスーパーヒーローだ。とてつもないプレッシャーの中でイギリス人として77年ぶりのウィンブルドン制覇を果たした人でもある。両国の前回の対戦は1931年で、日本のメンバーには佐藤次郎がいた。そして、イギリスチームにはマレー以前にウィンブルドンを制した最後の英国人、フレッド・ペリー。錦織がいたから実現した85年ぶりの巡り合わせに、胸が熱くなる。

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