プロ野球亭日乗BACK NUMBER
問題の本質は「誤審を認めた」こと。
映像が審判の裁定に優先する時代に。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/09/18 10:50
この写真ではフェンスの陰にボールが隠れていることから、ホームランであることが分かる。
審判の裁定こそが最終、という規定。
実は実際問題は別にして、これまで野球に「誤審」というものは存在しないのが建前だったのである。
公認野球規則の9.02には「審判員の裁定」に関する規定でこう記されている。
(a)打球がフェアかファウルか、投球がストライクかボールか、あるいは走者がアウトかセーフかという裁定に限らず、審判員の判断に基づく裁定は最終のものであるから、プレーヤー、監督、コーチ、または控えのプレーヤーが、その裁定に対して、異議を唱えることは許されない。
要は審判が最終的に下した裁定こそが絶対的な権威であり、極端に言えばルール適用の間違いなどを除けば、野球において誤審は存在しないということだ。
だから2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシックの米国戦で三塁走者だった西岡剛のタッチアップを「離塁が早かった」としてアウトと判定したボブ・デービッドソン主審の裁定に対して、イチローは決して「誤審」という言葉は使わなかった。ビデオ判定の導入の際も、あくまで審判の最終裁定の手助けにするという考えで、ビデオではなく審判の裁定に最後の審判があるということだったのである。
なのでこれまでは、例えば審判員が個人的に間違いを認めることはあったが、機構が公に誤審認定をすることはなかった。
この基本姿勢を根底から覆したのが、今回の誤審問題だったのである。
科学的な映像の判定が可能になった現代。
これはもはや時代の流れだった。
昔はテレビの中継も限られたカードしか行われず、ファンどころか審判や機構すらビデオで検証することがそもそもできなかった。正しいか、正しくないかの客観的な資料を欠いていた時代だからこそ、審判の絶対性に権威を置くことが、試合をスムースに進行させる唯一の手段だったわけである。
しかし今は、地上波だけではなくBS放送やCS放送でほぼ全日、全試合の中継がどこかしらで行われている。もし疑惑の判定があれば、YouTubeなどの動画サイトに問題の場面の動画がアップされて、一般ファンでも何度も検証できる環境が整っている。審判の目ではなく、そうした科学的な映像が判定の最終的な権威となっているのである。