オリンピックへの道BACK NUMBER
紛糾した東京五輪エンブレム問題。
足りなかったのは、大会の“理念”。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byGetty Images
posted2015/09/06 10:30
東京五輪のスポンサー各社を含め、既にエンブレムを使った広告や商品を製作していた企業は対応に追われている。
デザインを発注する側の、伝える能力。
翻って、今回の東京五輪公式エンブレムの募集から決定、その後の数々のできごとから感じていたのは、どういうコンセプトのもとに作品を募集し、決定へと至ったのかが伝わってこないということだ。東京五輪が体現したい大会の理念なりメッセージ、そうした幹があって、それを広く伝える、表すためにエンブレムはあるべきではないか。
でもその幹が果たしてどこにあるのか。いったい、エンブレムで何を伝えようとしているのか――そう思うことがあった。
アートではなくデザインであるなら、まず伝えるべき内容があって、それを見せるものがデザインなのではないかと思う。
また、もしデザインで伝えたいコンセプトが欠けていたり、希薄なのであれば、いくらコンペを行なっても、選考の基準がない状態だとも言える。選考があいまいになったり、選考委員の嗜好などが強く出過ぎる可能性は否めない。そうなれば選考結果への疑問も、さまざまな角度から湧いてきかねない。
そうしたことを考えても、この一連の流れと顛末へとつながった理由の一つは、デザインを発注する側の、デザイナーに伝えるコンセプトが薄かったことにある。すなわち、チーム戦術をプレイヤーに伝えないまま、だったのだ。
公募の条件緩和もいいが、コンセプトが大事。
使用中止によって、エンブレムのデザインを再び募集することになる。大会組織委員会事務総長の武藤敏郎氏はこう語っている。
「公募の方法についてはこれから考えます。より開かれた、透明性のある選考をしたいと思います」
前回の、かなり制限のあった応募資格から広げることを示している。
広げることも意味があるが(完全にオープンであってもいい)、ここまで見てきたように、再度公募を行なうにあたっては、どのようなオリンピックであろうと考えているのか、理念なりコンセプトをも伝えた上で募集することが何よりも大切ではないか。そうすれば、デザイナーは何を伝えればよいのか、デザインする上での骨子を理解することができる。
そして、その中にデザイナーの個性が表れる。選考もまた、コンセプトをいかに表現しているのかが主眼となる。選考基準がシンプルになることで、よけいな思惑を排除できる。
その観点から選ばれたエンブレムを、大会の理念を表すものとして、世界に発信する。
やり直すにあたって、公募の仕組みなど手続きをあらためるだけでは、挽回できないようにも思えるのだ。