オリンピックへの道BACK NUMBER
紛糾した東京五輪エンブレム問題。
足りなかったのは、大会の“理念”。
posted2015/09/06 10:30
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Getty Images
9月1日、2020年東京五輪の大会組織委員会は、公式エンブレムの使用中止を決定した。
エンブレム決定と発表以来、さまざまな出来事や動きがあり、多くの問題点も噴出した。
主に取沙汰されてきたこととは別に、一連の流れの中でずっと感じていたことがある。
個人的には、デザインという言葉から連想するのは、まずは雑誌のデザインである。雑誌の編集部に勤務していた頃もそうだが、その後フリーランスとなったあとも、書籍や雑誌などの編集に携わる機会はしばしばある。
それらの経験から言えるのは、誌面をデザインするにあたっては、デザインは独立して存在するのではないということだ。はじめに、雑誌の狙いやコンセプト、もっと言えばその雑誌の理念がある。そのもとでデザインは行なわれるということだ。
別の言い方をすれば、雑誌の大枠があり、その大枠の中でときどきの特集があって、特集ごとの方向性は打ち出される。その方向性が、場合によっては大枠を破るときもあるかもしれないが、それでも、雑誌の理念やコンセプト、特集の方向性、という順に違いはない。
そういう仕組みの上で、誌面全体を取りまとめるアートディレクターがいて、その下で複数のデザイナーが作業する。白紙の状態から、アートディレクターの願望のままにデザインがなされ誌面が構成されるわけではない。むろん、デザインする側からの視点や意見も出されるが、その前提となるコンセプトを無視したり、壊すわけにはいかない。
理念やコンセプトの枠の内にあっても、アートディレクター、デザイナーが異なれば誌面の色合いも違ってくる。「制限」があっても、必ずそこに個性は表れる。
チームスポーツにおける、戦術と個性の関係性。
スポーツ、特にチームスポーツでも同様のことが言える。
チームの理想像、目指す方向、目標があって、さらに戦略そして戦術がある。その戦術のもとで、選手はプレーする。戦術がなければ勝利に結びつかない。一見、戦術を破っているように見える瞬間があっても、それはベースとなる戦術があればこそであり、何のベースもないわけではない。
そして戦術があっても、選手の個性は浮き彫りになる。発揮される。
そうして考えてみると、雑誌におけるデザインもチームスポーツも、共通する部分があるように思える。