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本田圭佑に起こった2つの変化。
“泥臭い”プレーの背景にあるものは?
posted2015/08/25 11:20
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph by
Itaru Chiba
本田圭佑にとって、「トップ下」は特別なポジションである。そこはチームの皇帝がいるべき玉座であり、10番にもっともふさわしい場所でもある。
2014年1月にACミランに加入した当初、思うようなプレーができず苦しんだのも、「トップ下」が関係していた。
加入から2カ月が経ち、王者ユベントスに完敗した翌日、ローマ空港で本田はこう明かした。
「僕としてはトップ下で出られるという前提のうえで、ミランに加入してからの道筋をイメージしていた。けれど、監督がアッレグリからセードルフに代わってしまった。それによってトップ下ではなく、新しいポジション(右MF)で勝負することになった。ミランとの契約に至るまでに、チームに入ってスムーズに自分の居場所を確保できるように、代理人を通して交渉してきた。それがすべてゼロになってしまったということです」
セリエAデビュー戦直後の監督交代で一度は崩れた計画。
本田が加入した時点で、アッレグリ監督はクリスマスツリー型のシステム(4-3-2-1)を採用しており、本田は2シャドーのひとりとしてプレーする予定だった。ところが、本田がセリエAデビューを果たしたサッスオーロ戦後、アッレグリが電撃解任されてしまう。新監督のセードルフはトップ下にカカを置き、本田は主に右MFとしてプレーすることになってしまった。
監督の交代劇が想定外だった――。壮大な計画が、いきなり土台から崩れてしまった。
「批判を楽しんでいる」と口にしつつも、鬱憤がたまっていたのだろう。本田はイタリアサッカーへの適応を拒否していた。
「昨日のユベントス戦を振り返っても、俺は浮いているわけですよ。なんとなく。俺だけ違う画があってね……。でも、彼らの画も、俺は知っているんですよ。
イタリア人が描く画はわかるわけです。あの広いグラウンドで、縦にパッツィーニに合わせるサッカーとか。最後にカカが流れて、そこにパスを出して、そのリターンをセンタリングするとか。すっごくシンプルなサッカー。そんなことは、オランダでプレーしていたからわかってる。でもそこにアダプトしたくない自分がいる。
そこにアダプトしたら、戻れないような気がして。俺のキャリアを考えたときにもね。たとえばボランチ論を勉強して、徹底的にボランチとしてのパサーになると、もうトップ下で点を取り続けるような感じの選手には戻れないのと同じように」