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全ては「オグシオ」から始まった!?
日本バドミントンが強くなった理由。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byKyodo News
posted2015/08/24 10:30
準々決勝では香港の魏楠にストレート勝ちしメダルを決めた桃田賢斗。わずか37分での圧勝劇だった。
「オグシオ」ブームは協会が意図したものだった!?
この間、男子は2007年世界選手権の男子ダブルスで坂本修一・池田信太郎組が銅メダルを獲得したのにとどまった。しかし、少しずつ結果を積み上げ、昨今の成績へとつなげている。
女子、男子で時期のずれは多少あるものの、レベルを高め、選手の層の厚みを増し、そろって国際舞台での地位を向上させてきたのだ。
その要因の一つが、認知度をあげる努力である。
バドミントンへの関心が高まるきっかけとなったのは、小椋と潮田への世間の注目がある。
実は、それは日本バドミントン協会の意図したものだった。競技団体公認としては初めての写真集が刊行されたのが象徴的だが、2人をポスターに起用したり、メディア出演など露出を積極的に図ったのだ。その裏には、認知度と普及がなければ強くはなれない、という思いがあった。
狙い通り、小椋と潮田を入り口に、バドミントンが知られるようになっていった。
競技人口が増え、増えた会費を強化に利用。
それが何をもたらしたか。バドミントンの競技人口が数万人という規模で増えたのである。協会登録選手は、登録料をおさめることになる。増加した予算を、惜しみなく強化にまわした。
小学生の全国大会を開催することにより有望な選手を見出し、育成に努めてきたことも大きい。
以前別の機会にも触れたが、将来が楽しみな選手が、より高いレベルへ触れる機会を意識的に作ってきたことも特筆すべきだろう。
2004年、実業団に内定している現役の高校生が日本リーグに出場するのを認めたほか、ナショナルチームの下にバックアップチームを創設し、中学、高校生を選出。技術の習得や経験を得る場を作り、選手の意識を引き上げることにもなった。