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サラブレッドが余生を過ごす場所。
「馬愛」に溢れた養老牧場を訪ねて。 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byAkihiro Shimada

posted2015/08/08 10:50

サラブレッドが余生を過ごす場所。「馬愛」に溢れた養老牧場を訪ねて。<Number Web> photograph by Akihiro Shimada

ホーストラストを切り盛りする酒井政明さん。左手でなでているのは、テイエムオペラオーなどと同い年のエイシンキャメロン。

毎年7000頭生産されるサラブレッドの多くが食肉に……。

「半日用事で出かけて、戻って馬たちの顔を見ると、もう『懐かしいな』と思ってしまいます」

 そう話すほど「馬愛」の強いホーストラスト北海道代表の酒井政明さんは、1973年に共和町で生まれた。家は米やジャガイモなどの生産農家だったので、小さなときから身近に農耕馬がいたという。高校卒業後、板前やホッカイドウ競馬の厩務員などを経て実家に戻り、地元のホテルで調理の仕事に就いたが、馬関係の仕事を諦めることができず、ニセコの乗馬施設に就職。翌年独立し、同地に観光乗馬施設「ニセコ乗馬ビレッジ」を開業した。28歳のときだった。

「乗馬施設は6頭の馬で始めたのですが、サラブレッドはいませんでした。でも競馬場で働いていたので、サラブレッドを飼いたいと思っていたんです。サラブレッドにはなんとも言えない魅力がありますし、走らなくなるとすぐに処分されるのを見ていて、自分でなんとかできないかな、という気持ちをずっと持っていたんです」

 日本では毎年7000頭ほどのサラブレッドが生産されているが、それに見合うだけの受け皿は用意されていない。前述したような「第二の馬生」を送ることができる馬ばかりでなく、多くの馬が肥育業者を経るなどして食肉市場行きとなるのが現実だ。

「自分では忘れていたのですが、同僚によると、そうした現実に向き合うとぼくはよく泣いていたそうです」

ホッカイドウ競馬時代の師匠から引き取った1頭が始まり。

 競馬場では1日に2度も3度も体を洗ってもらうなど、手をかけられているサラブレッドを、はたして個人が飼育できるかという不安もあったが、ホッカイドウ競馬時代の師匠だった伊藤靖則元調教師に頼み、今もホーストラスト北海道にいるシルバースワット(セン21歳)を引きとらせてもらった。

「昼夜放牧に出したり、ほかの馬との集団生活になっても大丈夫なのか、といったことをこの馬で学習しました。ちょうどそのころ、テレビで鹿児島のホーストラストを紹介していたので、小西英司マネージャーを訪ねて視察したんです。この活動を今後につなげていくには個人だと限界があると思い、同じ名前でやろう、ということになりました」

 そして'09年、共和町の実家の土地に厩舎を建てて、ホーストラスト北海道として活動を始めた。

【次ページ】 震災の時は、馬運車で南相馬まで被災馬を助けに。

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