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<高校野球100年を振り返る>
甲子園を彩った5人のアイドル球児。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byHideki Sugiyama
posted2015/07/08 10:00
2006年、早稲田実業と駒大苫小牧との決勝戦は再試合に持ち込まれた。マウンドで汗を拭く斎藤佑樹の姿に「ハンカチ王子」フィーバーが巻き起こった。
早実のアイドルたち。
と、その前に、早実の先輩、荒木大輔にも触れておこう。なにしろ初期のキャッチフレーズが、「ニュー・バンビ」。メディアはいつの日もベタで、節操がない。ちなみにもう一つ、「王二世」という惹句も当時の新聞などで使われている。
ただ、いわゆる「早実三代」の二代目ダイちゃんは、簡単には折れなかった。もともと小学6年のときにリトルリーグでノーヒット・ノーランを5度も記録し、世界大会でも優勝経験のあるエリートだった荒木は、適度な図太さも持ち合わせていた。
「よく眠るのも特技?で、部長に2~3回どなられないと起きない。イビキも相当なものらしい。ま、余裕というか大胆不敵というか……」(「週刊明星」昭和55年9月7日号)
金八経由の田原俊彦が「哀愁でいと」でデビュー、のちのジャニーズ帝国の礎を築いた昭和55年夏に準優勝を果たした1年生エースの荒木は(この年の9月に松坂大輔が生まれている)、その後5季連続で甲子園に出場し、卒業、そしてプロに入ってからも、その爽やかな笑顔でファンを魅了し続けた。
斎藤佑樹が持っているもの。
そして、時代はぐんと現代に近づいて2006年。ヒットチャートの上位5曲のうち、KAT-TUNが2曲、山Pが1曲、修二と彰の「青春アミーゴ」が1曲と、「嵐」ブレイク前夜のジャニーズ帝国が版図を着実に広げていた頃、早実三代の三代目、ユニフォームの尻ポケットにハンカチを忍ばせた斎藤佑樹が現われた。
これまで紹介してきたアイドルたちと斎藤とで、決定的に違う点が一つだけある。
それは、彼が「アイドル」となったこの年の大会で、田中将大を擁する駒大苫小牧高校との頂上決戦を制し、深紅の優勝旗を手にしていることだ。
長らくつづいた、「悲劇のヒーローが甲子園のアイドルの条件」である時代を彼が終わらせた、と断言するにはまだ早いかもしれない。
だが、時代は移り行く。