岩渕健輔、ラグビーW杯と東京五輪のためにBACK NUMBER
世界最強リーグに日本が入るまで。
スーパーラグビーは“魔法の杖”か。
text by
岩渕健輔Kensuke Iwabuchi
photograph byAFLO
posted2015/04/23 10:40
日本人としてスーパーラグビーに初出場したハイランダーズの田中史朗。世界最高峰のレベルを経験することは、選手としての成長を飛躍的に加速させる。
放映権、新マーケット、そして日本ラグビーの評価。
日本は晴れて2016年からスーパーラグビーへの参戦が認められましたが、今回、実現にこぎつけられた背景には、いくつかの幸運も働いていました。
その最大のものは、スーパーラグビーのテレビの放映権契約が更新されるにあたり、視聴者数の拡大を狙うためにチーム数が15から18へと増えることでした。ちなみに私は日本が大会に参戦できる可能性を、かなり早い時点から水面下で探っていましたが、チーム数の拡大が本決まりになりそうだという情報を得た時には、小躍りせんばかりの気持ちでした。スーパーラグビーへの参戦を実現させるには、まさに千載一遇のチャンスが訪れたからです。
しかも日本にとっては、チーム数を拡大する方向性も理想的なものになっていました。南アフリカ側は以前から、ニュージーランドのチームがオーストラリアに遠征する場合などに比べて、自分たちだけが遠距離の移動を強いられていると主張していたため、他の国々のチームを参加させようという動きが出てきていたからです。
さらに当時のラグビー界では、日本のラグビーを評価する声も高まっていました。とはいえ、そもそもスーパーラグビーは南半球の国々を主体とした大会ですから、極東に位置する日本が手を挙げるのは相当無理があります。
にもかかわらず門前払いをされなかったのは、ラグビー界全体として、新しいマーケットを掘り起こす必要性が説かれていたことと、日本代表の世界ランキングが急激に上がってきていたことが少なからず影響しています。同時に、2019年に日本でW杯が開催されることや、2020年に東京オリンピックが行なわれることも追い風となりました。おそらくこうした要因がなければ、日本は見向きもされなかったでしょう。
最後の最後まで、ギリギリの交渉が。
とはいえ参戦が正式に決定するまでには、乗り越えなければならないハードルがいくつもありました。たとえば新たに加わるチームは、南アフリカと同じグループに入ることが決まっていましたが、日本と南アフリカでは移動にまるまる24時間かかります。その意味では南アフリカ側が訴えていた不満、すなわち移動距離の長さがまったく解消されないことになってしまう。
そこで私たちは、日本が主催するホームゲームのうち3試合を、中立国のシンガポールで行なうという交換条件を提示し、ぎりぎりのところで南アフリカ側から合意を取り付けることができました。