ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
遠くなった距離と、見えてきたもの。
石川遼とマスターズの「現在の関係」。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byAFLO
posted2015/04/23 10:50
マスターズ翌週のRBCヘリテージに出場した石川遼は、予選は突破したものの+4で75位タイに終わった。今年に入ってから10戦中6戦で予選落ち、苦しい戦いは続く。
松山の5位に「驚きじゃなかった。納得です」。
「ヒデキは、(手首に)テーピングしてました? 大丈夫だったのかな」
石川がまず気にしていたのが、松山英樹の様子だった。日本のファンにとっては残念なことだが、現地の放送では、松山の雄姿は最終日の後半が始まるまでほとんど中継されなかった。
「(最終日)一緒に回ったダスティン・ジョンソンばかり映っていて。最後くらいしか見られなかった。もっと見たかったですよ」
松山は日を追うごとに順位を上げて5位。メジャー王者たちと並んで上位で戦いを終えた。石川にしてみれば、今年も何度か練習をともにした彼の実力が既にトップクラスにあることも知っている。だからその活躍ぶりにも「驚きじゃなかった。納得です」と反応は淡々としたものだった。
少なくとも数年前までは、あの場所で日本の主役を張っていたのは自分だった。だがいまの石川は「マスターズは自分にとってのテスト。いまはその試験を受ける資格がない」と静かに現況と向き合うのである。
「二十歳でマスターズ優勝」という目標が叶わず……。
世界中のゴルファーと同様、オーガスタは石川にとっていまも特別な場所だ。
「二十歳でマスターズ優勝」という小学校の卒業文集の一文が、石川の10代を支えたメインストーリーだった。だがその夢は叶わず、いまとなっては石川とマスターズとの関係性を、他選手のそれとは違うものと印象付けたのが「特別招待」というフレーズである。
マスターズは招待試合だが、招待を主催者から得るには、年間の米ツアー優勝者、世界ランキング上位者といった具合に、数字上の指標をクリアしなくてはならない。ただ、列挙された出場資格の最後に記されているのが、マスターズ委員会による「特別招待」という項目だ。上記のハードルを越えられなかった選手の中から、主催者の裁量で選ばれるものである。
石川が初出場した2009年は、16歳でプロ転向した直後の活躍がマスターズ委員会の目に留まり、特別招待に至った。その後2年間は世界ランク50位以内の資格で出場。'12年にはランキングから漏れたが「アジア地域のゴルフ活性化」という名目で、2度目の特別招待を受けた。