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遠くなった距離と、見えてきたもの。
石川遼とマスターズの「現在の関係」。 

text by

桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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posted2015/04/23 10:50

遠くなった距離と、見えてきたもの。石川遼とマスターズの「現在の関係」。<Number Web> photograph by AFLO

マスターズ翌週のRBCヘリテージに出場した石川遼は、予選は突破したものの+4で75位タイに終わった。今年に入ってから10戦中6戦で予選落ち、苦しい戦いは続く。

3度目の特別招待に「え、なんで……?」。

 そして翌'13年。年明け早々に3度目の特別招待があった。

 当時の本人にとっては寝耳に水の話だった。招待の理由は前年と同じだったが、1年前までとは置かれた立場が異なったからである。石川の'13年は、米ツアーのメンバーとして迎える最初のシーズンだった。それまでは、米国からすれば「海外ツアーで活躍する選手」という扱いだったが、同年からはツアーを構成する一選手。前年までの“特別扱い”が継続されたことに、「なぜPGAツアーのメンバーになったいまでさえ」と厳しい視線が向けられたのも事実だ。

 そんな批判があることを、石川本人も感じていたという。石川はあの時、何を思ったのか。2年前を振り返り「やっぱり単純に自分があの舞台に立つのがふさわしいと思えなかった。自信がなかったと思う」と話した。

「手放しに喜べないのが、あの年齢でも分かった。最初に聞いた時は『え、なんで……?』という感じで。そこから入ったので、しばらくそれしか考えられなくなった。ただ、辞退なんてことはありえないとも周囲から言われた。マスターズ委員会が僕を招待してくれたという事実を、最終的に受け入れたというところ」

「うん、ああ、いろいろあるんだなあと思った」

 石川はアメリカで新シーズンの準備を進めていた矢先に、その知らせを聞いたが、逡巡した。出場に関して即答はできなかったという。

「あの特別招待は……いろいろ、あるんだなあと思いましたね。うん、ああ、いろいろあるんだなあと思った」

 プロゴルフの興行において、自分は「ただの一選手」ではない。実力云々ではないところで評価され、成人しても、他選手と一線を画す存在であったことを痛烈に思い知らされた出来事だったのである。

 あれから2年たったいま、幸か不幸か、石川が置かれた立場は、米ツアーという大海では「ただの一選手」である。今年に入ってからは未だ不振から抜け出せず、世界ランクは100位台中盤まで低迷した。

【次ページ】 遠くはなった、しかしいまは距離がはっきりとわかる。

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