詳説日本野球研究BACK NUMBER
野球選手の頭に機関銃???
“グローバルリーグ”仰天顛末記。
text by
小関順二Junji Koseki
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/02/26 10:30
グローバルリーグから帰国して会見する東京ドラゴンズ・森徹監督。プロ野球から縁遠くなった選手とアマチュアから成るチームは、過酷な状況をくぐり抜け、今こそ顧みられるべき成績を残したのだった。
週刊誌に書かれた「田舎芝居」「長屋の野球」。
ベネズエラの選手に肉体的なスペックで劣っても、試合では負けるわけにはいかなかった。
日本の週刊誌は森たちの野球を「ドサ回りの田舎芝居」と書き、のちに野球殿堂入りする青田昇は「独立ぐれん隊」「長屋の野球」と酷評した。
「何ごともチャレンジすることが大事なんだ。やりもしないうちに『できる』『できない』とぬかしやがって」――グローバルリーグをきわもの扱いする日本のマスコミや野球関係者に森は怒っていたらしい。
5連勝を果たし、優勝も夢ではなかったが……。
4対4で引き分けた5月7日の第9戦では、センターの辻がファインプレーの代償に左肩を故障した。前方のフライを捕ろうと頭から飛び込んだとき、表面に出ていたスプリンクラーの蓋と激突し左肩を脱臼したのである。辻はアマチュアの実績しかない選手だが試合を経験するごとにプレーに磨きがかかり、矢ノ浦国満、森とともにクリーンアップの一角を担っていただけに、この故障による戦線離脱は痛かった。
それでも東京ドラゴンズは強かった。
5月以降、1つの引き分けを挟んで5連勝し、このまま行けば優勝も夢ではなかった。
しかし、リーグ会長のディルベックが選手への給料だけでなく、ホテルへの宿泊料も支払わず、そのためリーグ戦は中断を余儀なくされる。
5月23日にホテルの食事がストップし、日本大使館の援助で何とか食いつなぐが、その後もディルベックの「送金する」という口約束は履行されず、選手たちはホテル・エル・コンデに軟禁されるという異常事態が発生する。
このとき森は日本にいた。
第9戦で負傷した辻に付き添う形でロサンゼルスに入り、その後グローバルリーグの極東開催を実現させるため日本に帰国していたのである。この距離の壁がベネズエラに残った選手たちとの間に溝を作ってしまった。