詳説日本野球研究BACK NUMBER
野球選手の頭に機関銃???
“グローバルリーグ”仰天顛末記。
text by
小関順二Junji Koseki
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/02/26 10:30
グローバルリーグから帰国して会見する東京ドラゴンズ・森徹監督。プロ野球から縁遠くなった選手とアマチュアから成るチームは、過酷な状況をくぐり抜け、今こそ顧みられるべき成績を残したのだった。
飛行機が包囲され「頭に機関銃を突きつけられた」。
森はロスアンゼルスに戻りベネズエラに残る選手を帰国させようと文字通り奔走するが事態は好転しない。それどころか、ベネズエラに残る選手の間では森がハワイで豪遊しているという噂が立つ。
森に代わって矢ノ浦が監督を務めるという話になったときは、「もう一度日本のプロ野球を見返してやるというレールをオヤジさん(森)が敷いてくれて、それに乗っかったのは俺たちじゃないか。今さら文句言うなら最初からレールに乗らなかったらよかったんだ。こうなったからああだこうだ言うのは男じゃねえ」と関根が啖呵を切り、矢ノ浦と壮絶な殴り合いの喧嘩になったが、森の支持者はこのとき関根以外では2人しかいなかったという。
食うや食わずの生活が続いた7月4日の午前4時、東京ドラゴンズの面々は物音を立てずにホテルを出て、タクシーに分乗してマイケティア国際空港へと向かった。飛行機代だけを工面して、ホテルへの宿泊代は踏み倒してベネズエラを脱出しようというのである。
搭乗を終えあとは飛行機が飛び立つだけというとき兵士に飛行機が包囲され、東京ドラゴンズの面々はなすすべもなく機外へ引きずり下ろされてしまう。
関根は「頭に機関銃を突きつけられて」と当時の剣呑な空気を語る。
面々はその後カリブ海を臨む公園で2日間野宿をし、無事ベネズエラを出てアメリカのマイアミに着いたのは、それから1カ月以上も先の8月11日のことである。
「独立ぐれん隊」は日本野球の底力を見せつけた!
当時から現在に至るまでグローバルリーグの歴史的評価は、青田が言った「独立ぐれん隊」「長屋の野球」の域から抜け出ていないが、森は「そんなもんじゃなかった」と口癖のように言っていたようだ。
「彼らは本当に一生懸命、取り組んでくれた。だから急激に進歩した。なかには向こうで格段にうまくなったヤツもいる。こいつら、なんで日本の野球でクビになったのか、と思うくらい。で、それだけ練習できたのも、みんな瀬戸際に立たされて、ギリギリの状態で来て、精神的に強かったからだと思うよ」(『野球小僧』2005年10月号)
抜群の身体能力・運動能力を誇る中南米の選手と戦って五分以上の戦績を残した東京ドラゴンズは「グローバル(地球規模)」と形容するのに相応しいチームだった。残した戦績は11戦して7勝3敗1分け。
ニッポン野球の底力は十分に示されたと言っていい。