詳説日本野球研究BACK NUMBER
46年前の幻の世界野球リーグ、
“グローバルリーグ”誕生秘話。
text by
小関順二Junji Koseki
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/02/25 10:30
グローバルリーグから帰国し、飛行機のタラップから降りてくる「東京ドラゴンズ」の選手たち。プロ・アマ混合の日本の選手たちは、たしかに“世界”を垣間見た。
日本チームは好調な滑り出しを見せたが……。
このグローバルリーグは、ルールもメジャーリーグや日本のプロ野球とは若干異なっている。まず代走に制限がなかった。Aという選手に代走を出しても、Aはそれで退場しなくてもいい。選手の数が少なかったこともあるが、力のある選手をできるだけ試合に出して緊迫したゲームを展開しようという意図が見える。
打者を敬遠で歩かせるときも、投手はボール球を4球投げず、敬遠の意思表示をするだけで打者走者は一塁へ歩けた。と言っても、福井は実際にそういうケースを目にしたことがないというが。
指名打者(DH)制度の導入も早い。メジャーリーグのアメリカンリーグは1972年、日本のパシフィックリーグは1975年である。ア・リーグより3年早い'69年に指名打者を導入したグローバルリーグの先取り精神がよくわかる。
日本チームは4月24日の開幕から5月16日までベネズエラで11試合を戦い、7勝3敗1分けと好結果を出している。このままリーグ戦が展開していけば優勝も夢ではなかったが、その流れはプツンと断ち切られる。リーグからの送金が絶え、ホテルの食事を含めたあらゆるサービスがストップしてしまったのだ。