マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
なぜ練習ばかりで見学しないのか。
松山で考えた、日本野球の「盲点」。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byAsami Enomoto
posted2015/01/01 11:00
日本の高校野球は、圧倒的に練習時間が長いことで知られる。逆に、プロ野球やMLBの試合を「観る」習慣がほとんどないのも気がかりだ。
見学で出た疑問を、指導者と答え合わせする恩恵。
見に来たのであれば、ぜひその一人ひとりが一番興味のある選手近くに陣取って、そのプレーをじっくり見ることをお勧めする。
近くで見ると、意外なものが見える。
「あ、このショート、グラブから人差し指出してる。これはいいのか?」
その疑問に対して、まず自分で選手を観察することで“解答”を出し、その後で自らの指導者と“答え合わせ”を行なってみる。一団となっての見学なら、やはりその真ん中に指導者の姿を見たいのは当然だ。
今のファンブルはどうすればしないで済んだのか?
あの左打者の左中間はどうしてあんなに伸びるのか?
あの指導者はあの選手にいったい何を教えているのか?
監督も学生当時はあれぐらいのプレーをしていたのか?
見ている若い選手たちは、心の中から湧き上がる疑問、質問をどんどん指導者にぶつけようじゃないか。指導者はその素朴な疑問に真摯に答えよう。
指導者でもわからなければ、決して知ったかぶりでその場をやり過ごすことなく、「わかりそうな人に先生(指導者)から訊いてみるよ」。
質す選手、答える指導者。そのやりとりに耳をそばだてるまわりの若い選手たち。これこそチームワークなのではないか。
子供は“大人のウソ”を敏感に見抜く。
以前、こんなことを話してくれた指導者の方がおられた。
「われわれ監督がいちばん怖いのは、生徒からの質問かもしれない。監督は絶対でなきゃならないんです。わからないことがあってはならない。決して間違ってはならない。そこを外したら野球部という組織が崩れます。そのために生徒に高圧的に出て、質問、疑問など出せない雰囲気を作るのも仕方がないんです」
否!
そんな土壌から、いったい何が生まれるのか。このようにして維持している組織を「砂上の楼閣」という。
“大人のウソ”をいちばん鋭敏に見抜くのは子供たちの感性である。
指導者という立場の保身のために、わからないことをわかっているように話す大人の裏切りを感じた瞬間、子供たちはサッと距離をとり、心は背中を向ける。
指導者といえどもわからないことはある。それは指導の“大前提”であり、そこから共に学んでいこうと発想するのが、健全な学生スポーツの指導者であろう。
時には、選手たちのほうから教えられることがあっても、それはお互いに愉快なことだ。
「お前、よく勉強してるなー」
「監督さんも頑張ってくださいよ!」
そこまでヒネた球児もいないだろうが、そんな会話が、見学という学びの場である球場のスタンドのあちこちから聞こえてくる。そんな情景を思わず妄想してしまった初冬の松山・坊っちゃんスタジアムであった。