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「お疲れさま」を言うにはまだ早い。
可夢偉を襲う、3度目の“危機”。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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posted2014/12/07 10:40

「お疲れさま」を言うにはまだ早い。可夢偉を襲う、3度目の“危機”。<Number Web> photograph by AFLO

ケータハムでの2014年は全19戦中16戦を戦い最高位は13位。獲得したポイントはF1参戦5シーズン目で初めてのゼロだった。

可夢偉「本当に今度は最後かもしれない」

 過去2回、窮地から脱出してきた可夢偉だが、今年のアブダビでは「本当に今度は最後かもしれない」と、いままで感じたことがなかった寂寥感を味わったという。

「だったら、今回は思う存分レースを楽しもうという気持ちになった」と可夢偉は言う。

 しかし、チームは最下位のケータハム。資金難から直前に行なわれたアメリカGPとブラジルGPの2戦を欠場していたチームが用意できるマシンでは、予選でライバルチームと戦うのは無理な話だった。もっとも接近したロータスとですら1.7秒差の19番手。それでも可夢偉は、最後までレースをあきらめなかった。

「ちょっとでも戦いたかった」という可夢偉は、スタートで軟らかいスーパーソフトタイヤを選択し、そのグリップ力を生かしてマシン性能で勝るライバル勢と戦おうとした。ライバル勢の多くも可夢偉と同様にスーパーソフトを選択していたためその思惑は外れたが、「失うものは何もない」という気持ちで臨んだ可夢偉は、1周目のバックストレートエンドでスーティルをかなり強引な形でオーバーテイクした。

 ところが、その直後から可夢偉のマシンは変調を来たしはじめる。左リアだけブレーキが利きづらくなったマシンは、次第にブレーキングでハンドルを右に取られるようになり、かなり危険な状況となった。そのことを無線で告げるとチームはピットインを指示。42周目にピットインした可夢偉のマシンはすぐにガレージに引き戻され、エンジンが止められた。

「最後のF1になるかもしれない」という決意で臨んだレースは、無念のリタイアに終わった。

中嶋悟とほぼ同じレース数、しかし異なる状況。

 日本人F1ドライバーとして初めてフル参戦を果たした中嶋悟も、引退レースとなった'91年最終戦(オーストラリアGP)はリタイアだった。

 F1通算74戦で引退した中嶋に対し、可夢偉のアブダビGPは75戦目とほぼ同じ数のレースを戦ったことになる。しかし、中嶋と可夢偉の最終戦には決定的に違うところがある。

 それは、'91年の中嶋がシーズン中盤に引退を発表し、完全燃焼して38歳で引退したのに対し、可夢偉は引退宣言もしていなければ完全燃焼もしておらず、年齢も当時の中嶋より10歳も若い28歳だということだ。

 もちろん'80年代のF1と現在のF1を単純には比較できない。むしろ、若年化が進む現在のF1で28歳というのは、'80年代なら30代後半に相当するかもしれない。

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