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「お疲れさま」を言うにはまだ早い。
可夢偉を襲う、3度目の“危機”。
posted2014/12/07 10:40
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
AFLO
「これが最後のF1になるかもしれない」
2014年の最終戦に挑むためにアブダビへ向かう機中で、小林可夢偉はそんな思いを抱いていた。
「現在の状況を考えたら、来年F1でレースをするのはかなり厳しい。来年が辛いということは、その後もきつい。ということは、もしかしたらこれが最後のF1グランプリとなるかもしれない、と思ったわけです」
最終戦が始まる前の段階で、2015年のシートが決定していないチームは数チームしかなかった。しかも、それらのチームは発表していないだけで、すでにドライバーとの交渉は最終段階という状況となっていた。
持参金がまったくなく、自動車メーカーの後ろ盾もなく、さらにチャンピオンになった経験もない可夢偉は、交渉のテーブルにもつけない。現実的に考えて、2015年はF1を走ることができないという思いを抱くのは当然のことだった。
可夢偉が2度乗り越えた、ドライバーとしての危機。
可夢偉にはいままで2度、F1ドライバーとしての危機があった。最初は2009年に初めて開催されたアブダビでのことだった。
当時トヨタのレギュラードライバーだったティモ・グロックの怪我が長引いたため、チームは前戦ブラジルGPに続いてリザーブドライバーの可夢偉を起用した。可夢偉はその期待に応え、わずか2戦目にして初入賞を果たし、F1界に大きなインパクトを与えた。
しかし、その直後にトヨタがF1からの撤退を発表。それまでトヨタの育成ドライバーとしてステップアップしてきた可夢偉は、突然梯子を外された形となった。だが、その後アブダビの快走を見ていたザウバーが獲得に乗り出し、可夢偉はレースを続けることができた。
2度目の危機は2012年のシーズン終了後だ。
最終戦でザウバーが可夢偉との契約を更新しなかったため、可夢偉は急遽「カムイサポート」と銘打って異例の募金活動を始め、持参金を求めるチームとの交渉に役立てようとした。しかし、時すでに遅し。2013年に可夢偉が狙っていたシートはすべて埋まり、1年間フェラーリでGTカーのレースに出場。そして2014年、集まった募金約1億8000万円を持ってケータハムと契約した。