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抗えば抗うほどに悪化した「流れ」。
J2降格のC大阪にビジョンはあったか。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2014/12/01 16:30
2009年の昇格以来、6年ぶりにJ2に降格するセレッソ大阪。香川真司、乾貴士らOBは現在のチームをどう見ているのだろうか。
流れを断ち切れるのは、“スーパー”な選手のみ。
「シーズン当初から結果が出ていない中で、流れを断ち切るような選手が、自分も含めてチームにいなかったし、そういう部分でチーム力が劣っていたなのかなと思う」
扇原は、そう言った。
だが、流れを断ち切れる選手もそうはいない。ガンバがJ2に落ちた時には、遠藤保仁や今野泰幸の日本代表組を始め、ベテランの明神智和もいた。それでも残留できなかったのだ。そういう意味では、仮にキャプテンの山口蛍がいても、流れを断ち切るのは難しかったかもしれない。
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それができるのは、例えば2001年、東京ヴェルディ1969をJ2降格の危機から救ったエジムンドのようなスーパーな活躍ができる選手だ。フォルランやカカウがその可能性を秘めていたが、監督との相性が悪かったのか、サブやベンチ外で救世主にはなれなかった。
輩出した才能が、ことごとく海外へ。
もちろん、個々の選手は頑張っていた。だが、チームとしてはどうだったのだろう。試合を見ていると、お互いを補完し合うチームとしての動きが足りなかった。いつもカバーできていたところができなくなり、声が消え、どこか人任せになってしまっていた。
「サッカーは個人でやるスポーツではなく、チームで戦うスポーツ。そういう面で他チームよりも力がなかったんだと思います」
扇原は悔しさを滲ませてそう言ったが、それはまさにチームがひとつになり切れていなかったということだろう。
さらに、2度にわたる監督交代、その影響による戦術的な混乱、守備の破綻、得点力不足等々、降格の要因は多々ある。だがその根本的な理由は、クラブがヴィジョンやスタイルを明確にできなかったことではないだろうか。
2010年にJ1に昇格した後、香川真司を軸に乾貴士、家長昭博、清武弘嗣が活躍。2012年には柿谷曜一朗が徳島から戻り、山口蛍、扇原らロンドン五輪代表組が台頭するなど若さと自由奔放さを前面に出す攻撃サッカーが開花した。
だが、2010年の香川を皮切りに、乾、清武、柿谷、キム・ボギョンと主力が相次いで海外移籍でチームを去り、倉田秋、家長ら主力だった選手も所属先に復帰するなどチームを去った。