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抗えば抗うほどに悪化した「流れ」。
J2降格のC大阪にビジョンはあったか。
posted2014/12/01 16:30
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
NIKKAN SPORTS
1-4の惨敗。
17位のセレッソ大阪が鹿島アントラーズに敗れ、2006年以来のJ2降格が決定した瞬間、スタジアムは通夜のように静まり返った。
山下達也はしゃがみ込んで男泣きし、扇原貴宏は何度もユニフォームで涙を拭った。後半19分に途中交代を余儀なくされた南野拓実は、ベンチのシートに身を沈めて泣いていた。ホームゲーム終了セレモニーでは、社長の挨拶がブーイングと罵声でかき消された。その後、選手たちが重い足取りで場内を一周したが、スタジアムは悔しさとやり場のない怒りが充満し、異様な雰囲気に包まれていた。
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敗れればJ2降格決定、勝っても仙台と清水の結果次第で降格とギリギリの状態で始まった鹿島戦、選手たちの出足は決して悪くなかった。前節の仙台戦、2点差を追い付いた粘り強いサッカーを実現しようと選手は必死にプレーしていた。だが、前半33分に先制点を失い、後半から巻き返そうと思った矢先の14分、2点目を失った。
降格への「流れ」が一度出来てしまうと……。
「離されて苦しくなったし、こういう状況(残留のかかる試合)でいつもよりも難しさを感じた」
南野がそう語ったように、この2失点目のショックは非常に大きかった。試合巧者の鹿島から3点を奪って勝つのがどれだけ難しいことか、ピッチで戦っていれば容易に理解できる。その後3点目を失い、永井龍のゴールで一矢を報いたものの、柴崎岳にトドメの4点目を奪われて試合は決した。
この試合同様、セレッソは降格への「流れ」を最後まで止められなかった。
しかしこの「流れ」、簡単には止められない、実にやっかいなものだ。
1999年、浦和レッズがJ2に降格した時、小野伸二が「最後は何をしてもうまくいかない。蟻地獄のようにハマっていく」と話をしたことがあった。悪い「流れ」が出来てしまうと、抗えば抗うほどうまくいかなくなるのだ。