サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
体制変更が最も利するのはこの男?
西川周作、待望の“ゼロスタート”。
posted2014/09/05 11:30
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
西川周作が日本代表の一員となったのは、2006年の夏。しかし、試合に出場したのは2009年秋だった。
ワールドユース(現U-20ワールドカップ)や北京オリンピックで経験を積んできたが、日本代表の正GKへの壁は厚かった。2010年ワールドカップ南アフリカ大会メンバーには選ばれなかった。川口能活の経験が買われた形で、第3GKの座も失ったのだ。
「最後にワールドカップメンバーから外れたことには悔しさもありましたけど、当時は3番手でもあったし、経験のある能活さんが選ばれるのも理解できた。大分から広島へ移籍した年だったから、チームでしっかりと時間を過ごすことも大事だなと切り替えることができました」
若い人間が、経験の差を埋めることはできない。代表での立場を確立するためには、クラブでの日々を大切にし、自身のプレーを磨くことが重要だと考えたのだろう。
「逆に近くに敵がいたほうがいいんですよ」
中、高校生時代にはプレースキックのキッカーを務めたこともあるほど高い足技を持つ西川は、当時広島の監督を務めていたミハイロ・ペトロビッチの下で、GKからショートパスを繋ぎ、ビルドアップするというスタイルに目覚めた。
「広島で、ミシャ(ペトロビッチ)の下でサッカーするなかで、僕が攻撃の起点になるということにチャレンジし始めました。そうすることで、得意なロングキックも活きてくる。
確かに相手選手が近くにいる状態でパスを出すのは、度胸がいるのかもしれないけど、失点するんじゃないかとか、僕はあまり考えないんです。逆に近くに敵がいたほうがいいんですよ。それをかわしてパスがつなげたら、2、3人置いていける状態になりますから。僕はそのスリルも含めて、楽しんでいる」
そして西川がゴールを守った広島は2012年、2013年とJリーグ2連覇を達成。国内ナンバーワンGKと言われる存在になった。