野ボール横丁BACK NUMBER
早大恩師が語る鳥谷敬の「成長率」。
同級生・青木宣親とも違う独自の輝き。
posted2014/06/20 16:30
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Naoya Sanuki
「あんなもんじゃないんだけどなあ」
4年ほど前のことだ。鳥谷敬の早大時代の恩師、野村徹は、そう嘆息していた。
「プロに入ってからの成長率が低い。まだまだできるはず」
'04年に自由獲得枠で阪神に入団した鳥谷は、プロ1年目から一軍に定着し、2年目にショートのレギュラーを奪取。以降、目立った数字はないものの、コンスタントに成績を残してきた。だが、それでも野村が不足と感じるのは、鳥谷の早大の同級生である青木宣親(ロイヤルズ)の存在がちらついていたからでもある。
青木はドラフト4巡目でヤクルトに入団。ドラフトの目玉として騒がれた鳥谷とは対照的に、ひっそりとしたスタートだった。ところがプロ2年目に突然開花する。シーズン202安打をマークし、首位打者を獲得。一躍、スターダムにのし上がった。それ以降の活躍は語るまでもないだろう。
よく怒られた青木、教えることがなかった鳥谷。
野村は、そんな青木のことを「あんなに怒った選手もいない」と回想した。
「青木は足も速いので、1、2番タイプとして自分を生かして欲しいと思っていた。だから、口を酸っぱくして『おまえは出塁に徹してくれ』と言い続けた。でも、飛ばす力もあるもんだから、私がブルペンなどに行ってると、気持ちよさそうにライト方向へ引っ張ってる。そこで私がまた雷を落とすわけです」
一方、鳥谷に対して野村はほとんど何も言った記憶がない。
「鳥谷の実力は、入学した時点で頭一つ抜けてましたからね」
エリートが集まる早大で、鳥谷は1年春からショートとして定着。2年春には、史上最速タイで三冠王を獲得した。野村が続ける。
「青木のように手取り足取り教えたことはまったくなかった。1年生のときに、私の手をすでに離れてましたから。僕が指導したのは、キャッチボールのときの投げ方ぐらいかな。それ以外は、プロに入ってから教えてもらえばいいと思っていた」