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原辰徳が貫いてきた、
父親譲りの野球哲学。
~“勝負師”の遺志を継いで~
text by
永谷脩Osamu Nagatani
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2014/06/18 10:00
2005年11月、巨人軍の宮崎秋季キャンプを訪れた父の貢氏とベンチで話し込む原監督。
6月8日、巨人が58日ぶりの首位に立った。開幕前の下馬評は圧倒的に優位で、抱える戦力の規模からすれば「苦戦」が続いていたわけだが、その原因の一つは明らかに先発陣の不振にある。
開幕早々に宮國椋丞が二軍行きを命じられたかと思うと、大竹寛、杉内俊哉の「FA組」も精彩を欠いている。投手陣の精神的支柱となるべき内海哲也にいたっては、5月末にようやく今季初勝利を挙げたものの、その翌週「左肩痛」で出場選手登録を抹消されてしまった。当初構想にあった「六本柱」のうち、計算が立つのは菅野智之のみという状況だ。
原監督の父、貢氏が相模原市内の病院で息を引き取ったのは、そのような苦戦の続く5月29日の夜だった。