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入江陵介、渡部香生子が完全復活!
“中間年”がリオ五輪へとつながる。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2014/04/28 10:30
ロンドンでメダルを獲得した時を上回るタイムで100m背泳ぎの優勝を果たした入江陵介。200m背泳ぎの8連覇はもちろん史上初だ。
2014年は、2012年のロンドン、2016年のリオデジャネイロの2つのオリンピックに挟まれた五輪中間年にあたる。世界選手権が隔年開催となっている競技の場合、同大会も実施されないシーズンである。
オリンピックも世界選手権もないシーズンであっても、いやだからこそ、選手にとっては強化のための、あるいは立て直しを図るための大切な1年でもある。
例えば競泳は、4月上旬、日本選手権が行なわれた。今年8月のパンパシフィック選手権、9月のアジア大会の代表選考を兼ねた大会である。
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この大会で、笑顔と言葉が印象的な選手がいた。
「ロンドン五輪後、止まっていた時計を動かすことのできた大会になりました」
と言ったのは、200mで8連覇を達成したあとの入江陵介だ。
ロンドン五輪で200m背泳ぎとメドレーリレーで銀メダル、100m背泳ぎ銅メダルと3つのメダルを手にするなどの活躍をみせた入江だが、ロンドン後は苦しんだ。昨年の日本選手権100mでは萩野公介に敗れ、世界選手権でもメダルを獲れずに終わると、「水泳をやめたい」という言葉もこぼれた。
椎間板ヘルニアとの闘病で気づいた水泳愛。
昨年9月、東京五輪招致が決定すると、「リオデジャネイロ五輪を目指したい」と前に目を向けられるようになったが、その矢先、アクシデントが襲う。椎間板ヘルニアの発症である。
靴下を履けない、顔を洗うためにかがむこともできない。
投薬と理学療法などで治療に努め、時間を経てプールに入れるようになったが、ウェイトトレーニング、ターン、バサロなどが禁じられる、あるいは制限されて泳ぐ期間が年明けまで続いた。
気持ちが戻ってきたのに、思うように泳げない。そんな日々が、気づかせてくれたことがあった。
「自分を表現できるのは水泳しかない。水泳が好きなんだと分かりました」
制約を課せられたからこその発見だった。