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本田圭佑を欧州の舞台へ導いた男。
VVV会長が語る移籍、ミラン、W杯。
text by
西川結城Yuki Nishikawa
photograph byPICS UNITED/AFLO
posted2014/04/17 10:40
2009年、チームのエースとしてVVVをオランダ2部からエールディビジ昇格に導き、ハイ・ベルデン会長(左)と抱き合う本田圭佑。
セードルフとの関係、CSKA移籍の舞台裏。
あとはセードルフ監督との話です。少しうまくいっていないとも言われていますが、ホンダが考えていたのは『選手としては、常に全力で監督をサポートしないといけない』ということでした。選手が結果を出せば監督の手助けにもなるし、自分の成功にもなる。逆に監督が成功していけば選手も成功していき、チームも成功していく。そのことについて、彼は時間を割いて語っていました。
報道では監督批判が出ているとかいろいろ言われていますが、ホンダは違う見方を持っている。どんなことがあっても監督をサポートしたいと言っていました。セードルフは監督経験のないまま今の仕事に就いた。サポートが常に必要なのは当然ですし、ホンダは自分がその役回りをしたいと強調していました。
セードルフは、実はキャリアをスタートさせたのはVVVでした。初の試合出場はアヤックスに移籍してからですので記録にはありませんが。だから我々も彼とはつながりがありますし、セードルフは自分と同じ道を辿ってきたホンダにも特別な思いがあるのかもしれません」
結果的には、モスクワでの日々も悪くなかった。
――本田選手がVVVを後にしたのが、2010年の1月でした。その後、CSKAモスクワに行ったあと、本田選手は約4年間モスクワでの日々を過ごしました。その4年間は会長自身は長すぎたと思いますか?
「確かにCSKAへの移籍は彼にとってはステップアップになったと思います。ただ、ヨーロッパの各国リーグにおいて、選手というのは通常は2年半でステップアップすることが理想であると私は考えています。
ホンダの場合は、その時期にはケガもあって、次のステップに行くことが難しかった。ただその経験を生かしたからこそ、今の彼もあります。結果的には、モスクワでの日々もそんなに悪くないものだったのではないかと思います」
――ロシアに移籍する際、反対した人もいたと聞きますが、会長自身はどんなアドバイスをしましたか?
「正直移籍する時はいろんな選択肢がありましたが、ロシアリーグは非常に競争が激しいのでステップアップにはなると考えていました。なおかつ当時CSKAモスクワはチャンピオンズリーグに出場していて、さらに決勝トーナメントにも勝ち残っていました。それは魅力的な舞台だとホンダにも言いました。
その時のロシアリーグは日本のJリーグと同様に、他のヨーロッパリーグとは違うリーグカレンダーでもあったので、2月からスタートすることを考えれば、1月に移籍することはベストでした。だからロシアに行ったほうがいいと、私は彼に言いました。ロシアはフィジカル的にもタフな試合も多いので、彼の成長にもつながる。
ただ一つだけ誤算だったのは、先ほども言いましたが、2年半でまた次のステップに行ってほしかったこと。そこだけは残念でしたね。2012年の初めにはラツィオに移籍するかしないかと言われた時期もありましたが、あの時は彼が膝のケガをしていましたから」